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Viaggio mosaico

〜モザイクをめぐる旅〜

ビザンチンの総本山 アヤソフィアその3

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アヤソフィアのモザイク群 イスタンブール トルコ

前回に引き続き皇帝の私室の中です。デイシスを見てそのまま奥に進むと次のモザイクが見えてきました。

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外からの光が強いため肝心のモザイクが暗くて見づらいですが、窓を挟んで2組の皇帝夫妻がモザイクで描かれています。
皇帝の即位順に見ていきましょう。まずは左側です。

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キリストと皇帝コンスタンティノス9世・ゾエ夫妻(1042年から1055年頃)

なかなかコミカルな表情のキリストです。
皇后ゾエが気になるのでしょうか? 視線がそちらに向いています。

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見れば見るほど色々とツッコミを入れたくなるパーツがいっぱいです。主に顔近辺に。
なぜそこを縁取った? とか なぜそこの線を繋げちゃったのか? とか
陰影をつけているのになぜか立体的に見えてこない残念感とか
唐突に生えているように見える指とか、、、、
こんなにツッコミ待ちの状態のキリスト、そうそういないですよ。
でもいろいろ構って見てるうちに、このキリスト様大好きになってしまいました。
疲れているときに見ると癒されそうな気がします。

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皇后ゾエ、50歳で初めて嫁ぎその後2回も再婚したそうです。
最初は政略結婚でかなり年上のロマノス3世、次は年下のイケメンミカエル4世。彼の病没後にもう一度コンスタンティノス9世と。
ゾエの顔は若々しく少女のような表情です。
こちらも単純な線を用いてますが、絵の上手な人がサラサラっと描いたような綺麗な顔です。

よく見ると顔の周り全体に一度剥がしたような痕跡があり、周りとの色やタッチの違いから明らかに顔を作り変えた様子が伺えます。
おそらく最初は正面を向いていたと思われます。
後世のの修復?とも思ったのですが、キリストのお顔と同時代っぽいし、キリスト<皇后 なお顔のクオリティなので、皇后が生きていた時代の作り直しもあり得えそうです。(皇后自身のゴリ押しがあったと勝手な想像してます)

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皇帝コンスタンティノス9世です。こちらも顔部分の不自然な感じは否めません。
でも皇帝の顔の場合、明らかな理由がありますよね。皇后の再婚です。その度に作り直したというのが通説らしいです。
顔に使われているテッセラの色合いや、特徴的なまぶたの描き方が前者2人と似ています。
本来なら皇帝の顔だけ作り変えても良かったのでしょうが、あまりにもテイストが違いすぎるので、2人の顔も作り変える羽目になった、、、かもしれません。
顔だけではなく左上の碑文も書き換えの跡がはっきりとわかります。

皇帝から見たら顔の謎は早くに解けたのでしょうが、コミカルキリスト様に翻弄されてしまいました。

こちらの作品の制作時期は最終形態が仕上がった時期ということで、コンスタンティノス9世の在位期間に一致してますが、通説通りなら手に金袋を持っている体はロマノス3世で、彼がこのモザイクを寄進したことになります。
つまり大部分はロマノス3世の在位期間である1028年 - 1034年に作られていると思われます。


右側の作品に移りましょう。

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聖母子と皇帝ヨハネス2世コムネノス夫妻(1122年から1134年頃)

この作品実はこんな風に↓紹介したほうがいいと思うんです。

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そう、実は隣にもう一人、長男のアレクシオスがいるんです。

この部屋の入口は右の方にあり、入口に近い所から見ると最初の写真のようなフォーマルな皇帝夫妻像しか見えません。皇子の姿は右側の柱の陰に隠れてしまいます。
でも奥まで入れる人は特別に、家族写真のような絵を見ることが出来るのです。ちょっとした視覚の仕掛けですね。

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アレクシオスは肌の色艶が良く健康的、目元がハッキリして利発そうに見えます。

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ヨハネス2世コムネノスは「カロヨハネス(心美しきヨハネス)」と讃えられ、歴代の東ローマ皇帝の中でも屈指の名君であると評価されるほどの、素晴らしい方だったようです。
このモザイク作品から受ける印象でも、既に左側にあった作品と調和が取れるように構図を踏襲していることや、お顔の表現も聖母子を一番にしているところなど、抑制的で理性的なセンスがあったように思えます。その上、ちょっとした仕掛けを楽しむ遊び心もあって、いい上司だろうなと想像します。

アレクシオスももしかすると優秀な期待の長男だったのかもしれません。しかし残念なことにヨハネス2世が皇位を譲る前に他界してしまいました。

こちらはコンスタンティノープルに残る唯一の12世紀のモザイク画なのだそうです。

今回はこのまま最後まで書くつもりでしたが、思いの外あれこれと書きすぎて長くなってしまいました。
残りは短めですが、次回にします。

ビザンチンの総本山 アヤソフィアその2

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デイシス 他 アヤソフィアのモザイク群 イスタンブール トルコ

アヤソフィアの2階です。正面に向かって右側の回廊を進んで行くと、大理石の扉が現れました。6世紀の物だそうで、この壁の先が皇帝の私室空間だそうです。

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この扉を抜けると、、、

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いきなり真打ち登場です。「デイシス」が現れました。こんなところにあったんですね。
私室にあったとは、とても意外でした。
ビザンチンの最高傑作は皇帝を中心にごくごく一部の人の目にしか触れないところにあったのです。

ギリシア語で祈り、嘆願を意味する「デイシス」は1261年皇帝となったミハイル8世によって作られたと推察されています。証拠となるものはないのですが、この時期皇帝はアヤソフィアのの大規模修復工事を命じているのです。とある同時代の人の言によれば「イタリア人が色々と変えてしまった聖堂全体を、皇帝が元に戻した」のだとか。

ミハイル8世が皇帝になる前に何があったのか? ラテン帝国による征服です。かの悪名高き第4次十字軍によるコンスタンティノープルの陥落
実はこの作品の向かいの足元に第4次十字軍のリーダーのベネツィア人エンリコ・ダンドロの墓があります。
この墓の前に作られたデイシスに皇帝はどんな願いを込めたのでしょう? より強いビザンチン帝国を!でしょうか。

改めて作品を正面からじっくりと見てみましょう。
こうやって見ると本当に大きな作品です。
1204年に征服されてから奪還するまでの60年弱の間、モザイクの製作が途絶えた時代がありました。その間職人たちはどこで何をやって生活をしていたのか? よくぞ技術が途絶えなかったものです。
久しぶりの大規模プロジェクトにさぞかし力が入ったことでしょう。当時の技術の粋を集めて作ったのでしょうね。

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現地で見てひとつ納得したことがあります。それはマリア様のお肌の色合いです。
それまで写真などで見ていて、随分とお肌のトーンが暗いなと思ってました。「デイシス」のタイトルと重ね合わせ、彼女の表情にいっそうの憂いを感じてたのです。
しかし現場に立つと思ったほど暗い表情には見えませんでした。憂もなくひたすら静かに見守っているようです。
彼女の肌の色は、左の窓の光が作る影とピッタリと合っていたのです。

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当時はこんな風にアップにされて見ることは想定してなかったでしょう

あとは写真で作品をご堪能ください。

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同じ金のテッセラなのに光輪の十字部分だけがキラキラです

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麗しい手の表情

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鱗を思わせる背景の金のテッセラの並べ方

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モノトーンに見えていた洗礼者ヨハネの服は緑色でした。
ゴツゴツとした顔立ち、節くれだった労働者のような手がキリストのそれとは対照的です。男臭さを感じさせる聖人像です。

この近くから大ホールを見ると正面の窓の下、ティンパヌムという場所に聖人たちのモザイクが見えます。

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ここまでくるとドーム天井のモザイクも良く見えます。

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この時、4隅のペンデンティブにいる天使ゼラフィムに注目してください。1箇所だけモザイクでできた天使の顔がよく見えます。

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今回はここまで
次回は皇帝の私室にあるその他のモザイクをご紹介します。

ビザンチンの総本山 アヤソフィアその1

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アヤソフィアのモザイク群 イスタンブール トルコ

今回はいよいよアヤソフィアに入っていきます。

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入り口に平面図があったので条件反射で写真を撮ってしまいました。
ブログのときに役に立つかなと思ったのですが、モザイクのモの字もなく拍子抜け。
でもこの説明を見ていると、イスラム寺院としてのアヤソフィアがどんな風だったのかが見えてくるようです。

聖堂周りの敷地にはスルタンのお墓がいくつもあります。また神学校や厨房棟もありアヤソフィアを本山とした宗教施設の集合体のようになってました。
スルタンたちは宗教上の理由から聖堂のモザイクを漆喰で塗りつぶしてしまいましたが、躯体はあまり手を加えてないように見え、この建築物を大切に大切に守ってくれたように思えるのです。

入ってまず気になったのがナルテクス(前室)の天井です。ただ漆喰にペイントされていると思ったらよく見るとなにやらキラキラと輝く箇所があります。近づくとなんとモザイクで飾られてました!これがオリジナルの状態でしょう。調べたところユスティニアヌス時代のものだったようです。

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そして早速モザイク発見です。ナルテクス(前室)から本堂に入る入口の上にありました。

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キリストと皇帝(10世紀)

キリストに向かって跪く皇帝の姿を描いてますが、こちらの皇帝が誰かは定かでありません。
中央のキリストは左手に聖書を持ち、そこには「汝に平和あれ。私は聖なる月」と書いてあります。

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左のメダリオンに描かれているのは聖母マリア、右側は大天使ガブリエルです。

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さてメインの空間です。
本当なら身廊と呼んだらいいのでしょうか? 正教会の空間の名称がよくわからず表記が迷走しています。
入ってみてびっくりしました。とにかく空間が大きい!の一言です。変な話ドームだけの大きさで言えばもっと大きいものは他にもあるはずですが(パンテオンとか)圧倒されたのは空間の高さでした。
聖母子像は遥か彼方で私たちを見下ろしているようです。

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ベタだけどキリスト教とイスラム教の共演の構図で一つ。聖母子像とアッラーと記されたカリグラフィーです。
不思議ですが聖母子像はより遠く、カリグラフィーは妙に低く感じました。
ナルテクスと同じようにドームやアプスの天井部分がモザイクとペイントでまだらになってます。ここもかつては全部キラキラだったのでしょう。

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カリグラフィーが出てきたところで、モスクだった形跡をいくつかご紹介します。
聖母子像から少し右にずれた下のところにくぼみがあります。イスラム寺院の特徴であるメッカの方向を示すミフラーブです。そして右手の方にある階段のようなものは説教壇のミンバルです。

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中央にある大ドームのサイズは高さは約55m、直径は33m、実は楕円なのだそうです。
こちらはかなりの面積がキラキラしている模様。ここからでは見づらいので2階に上がってからゆっくりと見ましょう。
ドーム下の四隅のペンデンティブには羽で全身覆われた不思議な姿のものがいます。天使ゼラフィムです。

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モザイクは全般的にあまりに遠いので早速2階へと上がります。

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2階の廊下、ここまでくるといろんな装飾がすぐそばで見られます。
やっぱり思った通り随所でモザイクが見つかりました。
柱頭の彫刻も必見です。アカンサスの葉で装飾された中にユスティニアヌスのモノグラムが刻まれているそうです(気になる方はクリックで拡大)
3つのアーチの下にもアカンサスの葉のモチーフのモザイクがあります。

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そして改めて聖堂の広さを再確認です。
聖母子像は高さ5mほどもあるかなり大きなものですが、全体でみるとこんなにも小さく感じます。

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ここでちょっと順路を飛ばして聖母子像のアップです。
窓から朝日が差し込むため、どうしても下からの撮影は思い通りの色で撮れませんでした。

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聖母子像 870年代?

改めてじっくりと見た聖母子像は、体が大きいというべきか小顔すぎるというか、人間離れした体格をしてます。
聖母マリアの衣装はしっとりと深い紺色、幼いキリストは金髪に金色の衣装とどこまでも神々しいです。
肌の色も滑らかでツヤツヤで絵画のよう。技術を感じます。

こちらのモザイクがアヤソフィアの中で最古のモザイクなのだとか。
9世紀で最古とは私には不思議でしょうがなかったのですが、歴史の得意な方ならご存知ですよね。

ビザンチン帝国では8〜9世紀にかけて聖像破壊運動「イコノクラスム」という運動がありました。レオン3世と息子のコンスタンティノス5世の治世において文字通り聖像などを破壊し、また擁護派を弾圧していた時代があったのです。レオン3世は730年の勅令でコンスタンティノープル総主教をイコン破壊派に切り換えたため、東ローマが破壊派、西ローマが擁護派となり東西両教会分離の遠因となりました。

悲しいかな、モザイクの運命は東と西で大違い。
ビザンチン帝国ではそれ以前のモザイクはほとんど残らなかったのに対し、ラヴェンナやポレチュはイコノクラスムの影響から逃れ、今でもその姿を見ることができるのです。

多分学生時代に習ったと思うのですが、完全に記憶の彼方でした。
モザイクを通して知ると、なんとも生々しい出来事だったのですね。

次回はまた順路に戻って続きをご紹介します。

リキヤ遺跡とモザイクと2

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アンタルヤ考古学博物館のモザイクギャラリー アンタルヤ トルコ

前回の残念なモザイク旅行に続きがありました!
ブログをアップした後、次回に向け手元の写真を調べていると、なんとクサントスで発掘されたモザイクの一部がアンタルヤ考古学博物館にあることがわかりました。
旅のルートが前後してしまうのですが、せっかくなのでこの流れで先にこちらを紹介します。

アンタルヤ考古学博物館は観光の中心地カレイチ(城内)地区から少し離れた場所にあります。なので時計台のある広場からトラムで移動します。博物館はトラムの終点です。

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広場は地元のおじさんたちが楽しそうに集ってます。
アンカラに比べるとトルコの南の方はのんびりとしたムードが漂います。

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博物館の目印はリキヤの石棺

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ここには近郊の遺跡から発掘されたものが展示されててなかなかの充実度です。特に彫刻群のクオリティは高く見応え抜群! 次々と現れる素晴らしい作品のオンパレードで眼福ものです。

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この麗しいお方はアレクサンダー王、御髪が長くて優しい雰囲気です。
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ひときわ目立つ形で展示されていたのがこちらの「休息するヘラクレス」です。なぜか上半身はボストン美術館、下半身はアンタルヤと別々の場所に所蔵されていたのですが、2011年に晴れて一つの姿になりました。

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さてさてモザイクギャラリーへと参りましょう。
こちらにはクサントスとSeleuceiaの遺跡からの発掘品が展示されています。
ギャラリーと言っても展示品の数はそれほど多くありません。

大物で比較的保存状態がましなこちらはSeleuceia から発掘されたものです。ソロン、トゥキディデス、リュクルゴス、ヘロドトス、ヘーシオドス、デモステネスなどの顔が描かれてます。前者2人の顔の保存状態がいい感じです。
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残りの目ぼしいものは小さなパーツばかりです。これらはクサントスのバシリカにあったもの。
こちらは女神テティスが息子のアキレウスを不死身の体にするために水浴させているところ、だそうです。
随分と荒っぽい水浴びですねー。

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こちらはアタランテとメレアグロスがカリュドーンの猪を退治するところ
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この他に幾何学模様と動物を描いたものの一部がいくつかありました。

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クサントスのモザイクはビザンチン時代の比較的新しいもののはずですが、保存状態は全体的に残念な感じでした。
使われているモチーフはギリシア神話からですが、取り上げる内容はイタリアとは全然違いますね。このエリアゆかりのものなのでしょうか? キリスト教とどう繋がってるのでしょう?
興味は尽きません。

しかし古代ギリシアってどこまでギリシアだったのやら? 思ったよりずいぶんと東まで来ていたようです。

時間があればイズミールもよろしく

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イズミール考古学博物館のモザイク群 イズミール トルコ

エーゲ海に面するトルコ第3の都市イズミールはエフェソスをはじめとする周辺の観光地があまりにもメジャーすぎて若干影が薄めな気がしなくもないです。
実際私も写真を見返して、あれ?こんなところにモザイクの写真があった!と今頃記事にしてますし。

イズミールってどんなところだったけ??
一番に思い出したのは海岸沿いの遊歩道近辺。海が近かったな。
駐輪場などがきちんと整備してあって、街や広場にヨーロッパを感じました。

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印象に残っていた観光地は古代アゴラ。五賢帝の一人マルクス・アウレリウス・アントニヌスによって建てられた市場の跡ですが今はコリントの支柱のみが残るのみ。
でも私が覚えていたのはそれではなく、その近くにあった水路の上に延々とアーチが続く不思議な空間。この美しい空間に水音が響くのです。いいでしょう?

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そしてあとは考古学博物館でしょうか。
エフェソスやボドルムなど近郊からの発掘品を展示しているようです。
展示品でインパクトがあったのは、走る人の銅像。躍動感もすごいけど、片足で見事にバランスを保って立ってるのが素晴らしいなあと。
そして石棺のコレクション、模様がとってもキュートでした。

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そしてやっぱりモザイクです。
一番目につくのは2階の吹き抜け部分から1階を見下ろして見るこちらのモザイク。イズミール市内カデイフェカーレ城塞跡から発掘されました。
ヒビも多く肝心なところがあまり見えないのが残念ですが、それでもぶどうの木の蔓の間にいる動物や鳥たちが生き生きと描かれている様子はわかります。全体的にとっても緑色です。

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この他に「エロスのモザイク」とタイトルのついたこちらのものや

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古代ギリシャのモザイク片などがありました。

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最後はイズミールが一望できると言われる城塞跡にも行きました。
行った当時はここがあのモザイクが出て来たカディフェカレ城塞跡とは全く思いもよりませんでした。
アレキサンダー大王にゆかりのある城塞ですが現在残るのはビザンツ時代のものだとか。
中は遺跡らしいものはなくただの公園でした。

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そこでおばちゃんが長ーい布を織っていたのがこれまた印象的でした。

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アルルの超大型作品です

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Verrerie de Trinquetaille のモザイク群 県立古代アルル博物館 フランス

前回ご紹介したローヌ川右岸の一画にかつてガラス工場(Verrerie de Trinquetaille)があった場所があります。
そこから1世紀〜3世紀ごろの大規模な邸宅跡が見つかりました。貴重な発掘品が多く、今でも現在進行形で発掘、研究が進められています。
今回ご紹介するモザイクはすべてこのエリアから見つかったものです。
冒頭のモザイクは邸宅の大きなトリクリニウムを飾っていました。県立古代アルル博物館の目玉の1つです。

同じエリアからはメデューサや幾何学模様などのこちらのものも出てきてます。
同じ邸宅内でしょうか? どれだけの床をモザイクで飾っていたのでしょう! 

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壁はポンペイ第2様式に酷似したフレスコ画で覆われていたようです。ガロ・ローマでこのスタイルは希少だとか。
イタリアの方から職人を呼び寄せて作っていたのかもしれません。
ここの主人は相当お金持ちの趣味人だったのかも?

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冒頭のモザイクに戻りましょう。

こちらは2世紀末ごろのものとされています。
中心部にいるのは時を司る神アイオーンです。右手にゾディアック(黄道十二宮)を左手には笏を持って、金の玉座に座っています。

その周りを囲むようにいるのはヒッポカンポスにのるネレイドと思うのですが、ヒッポカンポス(海馬)なのに顔が牛っぽくてこれは別の生き物なのでしょうか? うーむ。

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こちらは正真正銘、馬の顔のヒッポカンポスですが乗っている人は男性です。
順当にいけばポセイドンなのですが、馬車じゃなく直乗りっぽいし人相もイメージとずいぶんと違うような、、、
作り手がアレンジしたとか?

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そして隅っこには可愛らしい小人さんたち。他は大胆ヌードなのにチラ見せのこの子、却って目についてしまいます。

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そしてアイオーンのモザイクと反対向きになっているもう一つのモザイクは酩酊のディオニュソスです。
縦に撮った写真を回転させたものなので見辛くてすみません。

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ディオニュソスが取り巻きを従えて、宴会場へと誘っているところのようです。手にもワイン壺のようなものを持ってますし、誘った先にもおそらくワインで満たされてるであろう大きな器があります。
この部屋に呼ばれた古代の客人たちはこのモザイクを見ながら、さあこれからたっぷりと飲みましょう!と主人に促されていたのでしょう。
楽しそうな宴が始まりそう、、、私なら期待で胸がワクワクします!
そんな華やかで楽しい場面を連想したくなる作品です。

年の瀬が近づき、私たちもお酒を口にする機会が増える時期になりました。
宴会は本当に楽しいですけど、ディオニュソスの誘惑にはご用心ご用心!

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