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聖マルコのエピソードにまつわるモザイク群 ベネチア イタリア
イタリアの中でも人気の観光地のひとつ、ベネチアのサン・マルコ大聖堂です。
8000平米もある中のきんぴかモザイクも見どころですが、今回はファサードにあるモザイク群のお話です。
サン・マルコ大聖堂は828年にベネチア商人がアッバース朝のアレキサンドリアから聖マルコの聖遺物(遺骸)を盗んできたことを記念して建てられたそうです。(byウィキ)
この聖遺物の手に入れ方がなかなかの方法でして、、、、
アレクサンドリアで聖マルコの墓を発見したベネチアの商人たち、聖遺物がとっても欲しくなりました。
というのも、新興国であった海洋国家ベネチアは新しい箔を求めていたからです。
当時、ヨーロッパでは、より格の高い守護聖人を戴き、街の格を上げることがはやってました。
聖マルコの遺体をベネチアに持って帰れば、守護聖人は福音書記者4人のうちの1人となるわけですから、凄いことです。
レアどころかお宝キャラ発見というところでしょうか?(不謹慎ですみません。商人目線ということで)
時は7世紀、アレキサンドリアはアラブ人によって支配されてました。
商人達は言葉巧みに、聖マルコの遺体を譲り受けることに成功したのですが、問題はその遺体の運び方でした。
さて、どうやって運んだか!? なんと聖人の遺体をイスラム教徒が嫌う豚肉の中に入れちゃったのです。
英雄譚のように語り継がれてるようですが、もろもろ信じられないような出来事の連続です。
そしてこのエピソードを堂々とサン・マルコ大聖堂の入口のタンバン(扉の上の半円形の部分)にモザイクで作っちゃってます。
全部で4つ、右から左へと話は進みます。
「アレキサンドリアから運ばれる聖マルコの遺体」
「聖マルコ遺体のベネチア到着」
「ベネチア総督および市民の聖マルコ遺体歓迎」
「行列で大聖堂内へ運ばれる聖マルコの棺」
豚肉に包んだエピソードは最初のモザイクです。
青い服を着たイスラム教徒が鼻をつまんでます。よほどひどい臭いがしたのでしょう。
最後だけ画風が違いますが、時代が違うからです。
最初から3つは17〜18世紀に作り変えられたもので、4番目は13世紀に作られたオリジナルです。
さて、場所は変わってこちらはアレキサンドリアです。
聖マルコは、使徒パウロらとともにエジプトにわたり、アレクサンドリアに教会を創建しました。
しかしキリスト教徒への迫害が強まり、皇帝ネロによってペテロやパウロが殉教した翌年、マルコもアレクサンドリアで殉教しました。
聖マルコが建てたとされる教会のあった場所に現在残っているのが、聖マルコ大聖堂です。
現在はコプト正教会の聖堂として使われています。コプト教の総本山的な位置付けのようです。


最近はコプト教徒に対する襲撃が多いようで、物々しい警戒の中をくぐり教会のある広場へと入ったのですが、中はとても静かな場所でした。
1870年にビザンティン建築様式で再建されたものらしいですが、もっと最近のもののように感じました。
素朴なモザイクもたくさんありました。






ところでベネチアに持ち出された聖マルコの不朽体(正教会では聖遺物をこのように呼ぶようです)の一部は、1968年にローマからこの聖堂に返還されたそうです。
2019年今年もよろしくお願いします
ビザンチンの総本山 アヤソフィアその2
デイシス 他 アヤソフィアのモザイク群 イスタンブール トルコ
アヤソフィアの2階です。正面に向かって右側の回廊を進んで行くと、大理石の扉が現れました。6世紀の物だそうで、この壁の先が皇帝の私室空間だそうです。
この扉を抜けると、、、
いきなり真打ち登場です。「デイシス」が現れました。こんなところにあったんですね。
私室にあったとは、とても意外でした。
ビザンチンの最高傑作は皇帝を中心にごくごく一部の人の目にしか触れないところにあったのです。
ギリシア語で祈り、嘆願を意味する「デイシス」は1261年皇帝となったミハイル8世によって作られたと推察されています。証拠となるものはないのですが、この時期皇帝はアヤソフィアのの大規模修復工事を命じているのです。とある同時代の人の言によれば「イタリア人が色々と変えてしまった聖堂全体を、皇帝が元に戻した」のだとか。
ミハイル8世が皇帝になる前に何があったのか? ラテン帝国による征服です。かの悪名高き第4次十字軍によるコンスタンティノープルの陥落。
実はこの作品の向かいの足元に第4次十字軍のリーダーのベネツィア人エンリコ・ダンドロの墓があります。
この墓の前に作られたデイシスに皇帝はどんな願いを込めたのでしょう? より強いビザンチン帝国を!でしょうか。
改めて作品を正面からじっくりと見てみましょう。
こうやって見ると本当に大きな作品です。
1204年に征服されてから奪還するまでの60年弱の間、モザイクの製作が途絶えた時代がありました。その間職人たちはどこで何をやって生活をしていたのか? よくぞ技術が途絶えなかったものです。
久しぶりの大規模プロジェクトにさぞかし力が入ったことでしょう。当時の技術の粋を集めて作ったのでしょうね。
現地で見てひとつ納得したことがあります。それはマリア様のお肌の色合いです。
それまで写真などで見ていて、随分とお肌のトーンが暗いなと思ってました。「デイシス」のタイトルと重ね合わせ、彼女の表情にいっそうの憂いを感じてたのです。
しかし現場に立つと思ったほど暗い表情には見えませんでした。憂もなくひたすら静かに見守っているようです。
彼女の肌の色は、左の窓の光が作る影とピッタリと合っていたのです。
当時はこんな風にアップにされて見ることは想定してなかったでしょう
あとは写真で作品をご堪能ください。
同じ金のテッセラなのに光輪の十字部分だけがキラキラです
麗しい手の表情
鱗を思わせる背景の金のテッセラの並べ方
モノトーンに見えていた洗礼者ヨハネの服は緑色でした。
ゴツゴツとした顔立ち、節くれだった労働者のような手がキリストのそれとは対照的です。男臭さを感じさせる聖人像です。
この近くから大ホールを見ると正面の窓の下、ティンパヌムという場所に聖人たちのモザイクが見えます。
ここまでくるとドーム天井のモザイクも良く見えます。
この時、4隅のペンデンティブにいる天使ゼラフィムに注目してください。1箇所だけモザイクでできた天使の顔がよく見えます。
今回はここまで
次回は皇帝の私室にあるその他のモザイクをご紹介します。
2018年今年もよろしくお願いします

番外編:Out of Africaな体験 in Nairobi
この写真の中にある動物が隠れています。さてどこに何がいるでしょう〜♪
実は今、ナイロビに滞在中です。
Viaggio Mosaicoではこんな感じの個人的な話題は極力避けてやっていたのですが、居場所もそれなりに珍しいし、たまには現地レポートもどう?なんてお話もいただき、今回は番外編をお届けすることにしました。
ケニアというとまず思いつくのは、サファリですよね? ライオンとかキリンとかシマウマとか、、、
でもまだサファリは行ってないんです。サファリに行ってしまうと一番の楽しみがなくなってしまいそうな気がして。美味しいものは最後にとっておくタイプです。
ナイロビ国立公園内に行ってますが、訪ねたところは完全に動物園で、ご対面したのは柵や檻の中の動物たちばかり。それでも周りの自然もあって日本の動物園とは風情が違います。
でもナイロビでも動物以外に見るところが一応あるんです。その中でもメジャーどころのカレン・ブリクセン博物館をご紹介しようかなと思います。
カレン・ブリクセンは20世紀のデンマークを代表する小説家です。デンマークではお札になったり切手になったりとかなり著名な人物のようです。私たち日本人にとっては映画「愛と哀しみの果て(原題Out of Africa)」でメリル・ストリープが演じた主役カレンのモデルかつ原作者といった方がピンと来るのではないでしょうか?
博物館はナイロビの中心部より少し外れた、ナイロビ国立公園の西側、カレン地区内にあります。この辺りまで来ると市内の活気ある風景から一転し、のんびりとした田園風景が広がります。
こちらの写真が博物館とその敷地です。映画の建物はこんな感じ。↓ 全く同じとは言えないようですがよく似ています。
敷地は実に広く、かつてはこの辺りにコーヒー農園があったようです。
カレン・ブリクセンは本国デンマークを離れ、ここでコーヒー農園を営んでいました。ナイロビは標高1600mあり、赤道近くの割に比較的涼しい気候のため、コーヒー栽培には随分苦労があったようです。
建物の中はカレン自身が生活していた家具や道具、そして映画のセットや小道具が混在している印象でした。
カレンはデンマークから身の回りの道具のほとんどを持ってきたようです。ヨーロッパ産や中国産の家具や道具、食器などいろいろと展示されてました。
その中で印象的だったものの一つが鳩時計です。
映画でも鳩時計を見て目を丸くする大人や、大騒ぎをする子供たちの様子が描かれてました。
時計が時を告げる頃、集まってきた子供たちがその時を神妙な顔で待ってます。
鳩が飛び出すと、わあっと蜘蛛の子を散らすように騒いで逃げていく子供たち。
あと蓄音機もありました。映画ではサルに仕掛けてレコードを傷つけられてました。あの当時だとレコードも相当高価だったでしょうに、大胆な遊びをしたものです。
食堂やリビングは実際に彼女が使っていたもののようでしたが、寝室は映画のセットを再現したもののようでした。クロゼットの中には映画で使われた服やブーツが入ってました。外出時のこちらの衣装です。
カレンは文才のほかに画才にも長けていたようです。コーヒー農園を支えていたキクユ族の人々の絵も飾ってありました。映画の酋長として描かれたこの男性の服装や装飾などは彼女の絵から再現したのかも?
博物館を出ます。
建物のすぐお隣にあったこの木、なんとアボカドの木でした。こんな風に実が成るのですね。
少し離れたところには当時使われていた農機具が雨晒しで展示されてました。味わいがあってこういうの大好物です。
敷地を散策するとそこは完全にアフリカの世界。サボテンなのか木なのかわからない植物に興味深々。木の上では野生の動物がお昼寝中。
鬱蒼とした木々の向こうで見つけたのがこちらの機械。これ昔の焙煎機でしょうか? 映画でも写ってましたが全体像がわかるものはこのーシーンのみ。辛い絵です。
この図で終わるには辛いのでもう一つ。
この博物館の敷地の隣接地は広い平原があり、そこではカレンの彼(ロバート・レッドフォード)がいつも飛行機を乗り降りしていたそうです。
もしかしたらこの映画のシーンのように2人で乗ったことがあったかもしれないですね。
映画は雄大なアフリカの景色が印象的でした。いつかそんな景色を見られますように。
ちなみに日常の生活はシンプルに専業主婦してます。治安上自由に歩き回るわけにもいかず、移動は自動車のみ、いつもどこかの建物の中にいます。楽しみはたまにガーデンでいただくランチです。
アパートの窓に野生の珍しい色をした小鳥が停まったり、たまにはハゲワシらしき鳥が迫ってきたり、部屋にいながらなかなか楽しくスリリングな体験もしてます。