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Viaggio mosaico

〜モザイクをめぐる旅〜

お散歩気分でモザイクを楽しむ in ローマ4

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サンタニェーゼ・フォーリ・レ・ムーラ教会 ローマ イタリア

以前ご紹介したサンタ・コンスタンツァ廟の隣、というか同じ敷地内にサンタニェーゼ・フォーリ・レ・ムーラ教会があります。

サンタニェーゼというとナボナ広場にあるサンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会の方がメジャーかな?この2箇所とも同じ聖女にまつわる場所なのです。今回訪ねる場所はかつて聖アニェーゼが住んでいた場所、そしてナボナ広場は彼女が殉教した場所だそうです。なんでもローマの有力者の息子から求婚され、キリスト教徒(異教徒)であることを理由に断ったために処刑されたとか。

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教会へは長い階段を降りていくので、地下に潜っていくようななんだかちょっと不思議な感覚です。
この階段の壁に掛けられた石板は教会の地下にあるカタコンベから出てきたものです。

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教会は342年にコスタンティヌス大帝の娘コスタンツァがアニェーゼを奉る教会を建ててから7世紀に建て替えられ、その後も何度か改築、改修があったようです。身廊部分の装飾、新しそう。

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でもモザイクはアプスの円蓋部分に7世紀当時のまま、無事に残ってました。

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聖アニェーゼの足元には火と剣があります。これは最初彼女は火炙りになるところだったのですが火がつかず、その後剣で喉を切られたという話から。なるほど火はついてますが彼女の周りでチロチロと燃えているだけです。
そして聖アニェーゼのお顔の平面的なこと! 7世紀になると聖人などは人間離れした雰囲気を表すためにあえてこんな風に描いたようです。あとの2人と比べるとお顔違いますよね?

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その上には神の手

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左側で教会を持っているこのお方は7世紀にこの教会を献堂した教皇ホノリウス1世。

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シンマクス教皇
このお方どういう方なのかさっぱりわかりませんでした。
日本語のwikiにあったのはたったこれだけでした。

シンマクス(Symmachus, ? - 514年7月19日)は、第51代ローマ教皇(在位:498年 - 514年)。カトリック教会で聖人とされる。

じっとこちらを見つめる目ヂカラの強さが印象的でした。

お散歩気分でモザイクを楽しむ in ローマ3

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サンタ・プデンツィアーナ教会「玉座のキリスト」 ローマ イタリア

前回、前々回とお届けしたサンタマリア・マッジョーレ聖堂の裏手にオベリスクの立つ広場があります。聖堂を背に広場に立つとすぐ前のカブール通りと奥のウルバーナ通りが見渡せます。このウルバーナ通りを左に曲がってすぐのところにサンタ・プデンツィアーナ教会があります。
こちらの教会は観光客が大勢出入りする感じではなく、入っていいのかなー?とちょっと戸惑う、そんな雰囲気でした。

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私がお邪魔した時は入口で工事をしていたので、現場のおじさんたちのお邪魔にならないように外観もこんな感じでサクッと撮影。
カラフルで愛らしいファサード、多分バシリカ様式だと思います。建てられたのがシキリウス教皇の在位中(384-399)だそうでサンタマリア・マッジョーレよりも昔なのです。

でも期待して入ったら、中はぜんぜんバシリカじゃありませんでした! 
というより明らかに新しすぎる内装にギョッとし、ま、間違えた??と動揺が、、、、

しかも奥の方に見えるモザイクがこんな感じですし。

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事前になにも予習をせず、モザイクがあるというただそれだけの情報で中に入ったので、えーー?
手前のフレスコ画の絵柄と調和してて全く遜色ないし、もしかして新しく作りかえたとか??
まさか間違って違う教会に入ったってわけではないよね? 
ラヴェンナにあるようなモザイクを勝手にイメージしていたので、全く違う絵柄に、とにかく動揺が止まりません。

ま、まあせっかくなので、とりあえず写真撮っときましょうか。

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ブレました。

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これまたブレました。
手の震えが止まらないようです。

こんなに私を動揺させてしまったこの作品、これが、正真正銘、ローマ市内に残る最古の教会の後陣モザイクなのだそうです!!
作られたのは390年頃と言われています。

こんなルネッサンス絵画そのもののような絵柄のモザイクがあったのですね?
顔のしわや陰影など肌の色も絵の具で塗ったかのように滑らかで自然で、そんなに微妙な色合いを大理石やあの時代のズマルトで表現できたのか不思議でしようがないです。
後ろの街の風景も若干歪んでますがちゃんと立体的に描かれています。

キリストを中心に12人の使徒が描かれてるそうですが、後世の改修で見えているのは10人だけです。2人の女性は聖女プデンツィアーナと聖女プラセーデの姉妹です。どちらがどちらかはわからないですが丁寧に作られている右の女性がプデンツィアーナでしょうか。そして空には4人の福音書家、うち2人は完全に見切れてしまいました。

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ちなみに姉のプラセーデが祀られた教会も比較的近くにあり、こちらにも素敵なモザイクがあるのでいずれご紹介したいと思います。



お散歩気分でモザイクを楽しむ in ローマ2

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サンタマリア・マッジョーレのモザイク群 ローマ イタリア

ようやく正面奥のアプスにあるモザイクにたどり着けました。

アプスの中央ではイエスとマリアが玉座に座り、イエスがマリアにまさに王冠を置こうとしてる様子が描かれてます(マリアの戴冠)。2人とも若々しい感じで親子というよりはカップルのよう。メダイヨンの背景は濃紺の空に金色の星がちりばめられ、太陽と月が足元にあります。周りでは天使たちが2人の様子を眺めて祝っています。

天使の後ろの右側には洗礼者の聖ヨハネと福音書家の聖ヨハネ、足元の方に寄進者のコロンナ枢機卿が小さな姿で描かれてます。
左側に見えるのは聖ペテロ、聖パウロの2人の聖人。実は柱の影で見えないところに聖フランチェスコも隠れています。そして小さな赤いマントを纏った人はニコラス4世法王で、このお方が13世紀に創建当時の後陣を現在のものに作り変えたのです。モザイク製作の命を受けたのはヤーコポ・トッリッティ。なんと材料はオリジナルのテッセラを集めてそのまま使ったそうです!

だからでしょうか、金色のキラキラは平面的な輝きを見せているものの、全体的に味わいのあるいい色の仕上がりです。あのベネチアのサンマルコ寺院のモザイクとほとんど同じ時期に作られてると思うと風合いの違いは歴然です。

アカンサスの木の蔓で囲まれた鳩や孔雀の姿は、最近の記事ではおなじみの古代ローマから続く古いモチーフだし、天使の羽の表現はラヴェンナで見た雲の表現を思い出したりして、わざと初期っぽくしてるみたい。また人、聖人、天使、中心のイエスとマリア、それぞれの姿の大きさを変えることで偉大さを表しているところも古典的だなあと感じます。

その下には聖母被昇天を描いたモザイクがあります。こちらもトッリッティの作品。

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光輪をつけた聖人たちが居並ぶ中、マリア様の真下には小さく描かれた一般人がまぎれこんでます。この写真では分かりづらいですが2人はフランチェスコ会の僧の姿であと1人は13世紀当時の一般的な服装をした人なのだとか。
トッリッティの遊び心でしょうか、13世紀の彼らがタイムマシンにでも乗って、この世界に紛れ込んだような感じがなんともユニークで面白いです。


この大聖堂にはもう1箇所忘れないでほしい別のモザイクがあります。
大聖堂の入り口側少し離れたところからファサードを見上げると、上部ロッジア(バルコニー)の奥の方にモザイクがあります。よーく目を凝らして見ないとわからないのですが。
このロッジアは別途料金を払うと上がれるようになっているので、時間がある方はぜひ行ってみてください。13世紀のモザイクを手を触れられる距離で見ることができます。描かれているのは真夏の雪の聖母の奇跡の物語です。

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奇跡の物語は中世の伝説です。352年、ヨハネという貴族がいました。彼は子供に恵まれなかったため遺産の使い方を思案し、聖母マリアのために教会を建てることを思いつきます。すると聖母マリアがヨハネの夢の中に現れ「エスクィリーノの丘の雪に覆われたところに教会を建てよ」と告げます。不思議な夢を見たと思い、その翌日教皇リベリウスの元に報告に行くと教皇も同じような夢を見ていました。そこで丘へ行ってみると8月5日の真夏にも関わらずお告げ通りに雪に覆われたところがあったので、そこに教会を建てた、と言われています。

向かって左側にマリア様のお告げのシーンが描かれています。
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右側の方、肝心のところが光で見づらくなっていますが、ヨハネが教皇リベリウスに夢の報告をしているところです。
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モザイクもいいですがロッジアからの眺めも楽しんでくださいね。

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お散歩気分でモザイクを楽しむ in ローマ1

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サンタマリア・マッジョーレ大聖堂のモザイク群 ローマ イタリア

ローマに住んで良かったなーと思う事の一つが貴重な教会に何度でも気が向けば足を運ぶことができたこと。
伝説や美術の宝庫である大聖堂でもタダで何度でも立ち寄ることができるのですから、ありがたい話です。

さてこちらサンタマリア・マッジョーレ大聖堂はテルミニ駅から歩いてすぐという便利な立地にあるため、お買い物のついでに立ち寄ってみたり、カメラ抱えて訪ねたりと何度も足を運んだ場所です。

実はここに何度も来なければならなかった理由がもう1つあります。この大聖堂、中が本当に暗くて撮影者泣かせで何度写真を撮ってもまともなものが撮れなかったのです(涙)
正面のアプシスは灯りが付くのでいいのですが、列柱の上に古くて貴重なモザイクが並んでいて、ここを取るのが一苦労。何度撮っても手ブレだらけで亡霊のような写真になるばかり。何度かチャレンジした後についに断念し暗がりに強いコンデジに買い換える決心をしました。
教会のモザイクを撮るにはカメラの性能に無頓着ではいられないとここで学びました。

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あの頃にコンパクトミラーレス機などがあればこんな苦労はなかったでしょうね。今でもカメラを新調するとあそこで撮影したらどんな風になるか、そんなことを考えてしまいます。


この列柱上にあるモザイクは創建当時からあるオリジナルのモザイクで5世紀ごろのものとされています。

431年のエフェソス公会議でキリストの人性説が協議されたのですが、最終的に人性が薄まり三位一体が強化され、同時にマリアさまが「神の母」であると決まりました。この決定をうけ教皇シクストゥス3世がこの教会を建てたのです。
人間キリストのお母さんで決まっていたら、今あるサンタマリアを名乗る教会はすべてなかったんでしょうか。今となってはあまりにも別世界すぎて想像もつきません。

モザイクのパネルはもともと42枚あったのですが現存するのは27枚です。左手にアブラハム、ヤコブ、イサクの物語、右手にモーセとヨシュアの話が描かれているそうです。

知識がないので細かいエピソードなどはわからないですが、これらのパネルにいる白髪の老人はヤコブのようです。
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こちらはアブラハムとロト
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これらのパネルはモーゼの物語のようです。モーゼはやはり若者の姿です。
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これは出エジプト記の中のモーゼの奇跡のシーンですよね?
これまでの2段構えの平板な絵から一気に遠近法っぽい躍動感のある表現になってます。作り手さん、かなり力が入っている模様です。
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この辺りも恐らくはモーゼにまつわるシーンかと思うのですが、武器を持った兵隊の姿が多くて教会には異質な感じがします。でもつい最近聞いてきたことのように生き生きと表現されてますよね。カラフルな装備もお揃いでオシャレです。
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正面も見応えあります。手前の凱旋アーチ部分のモザイクも同じく5世紀ごろのものと言われています。

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左上のほうには、受胎告知や東方3博士の礼拝らしきシーンが見えます。

中央には神を象徴する十字架の乗る玉座があります。それを挟んで立つ2人の男性は聖パオロと聖ペテロ。また2人の肩のあたりには象徴化された4人の福音書家(一部切れてますが)が見えます。
足元の文字は「神の民の司教シクストゥス」とありますが、これはもちろんシクストゥス3世を指しています

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右手のほうはイエスの若い頃のエピソードが並んでいるようです。聖家族やエジプトへの逃避の様子など、途中でどこかで偉い人に会ってるような感じです。
上から3段目にはヘロデ王に呼び出された3博士の様子が描かれていますが、これって赤ちゃんのイエス様を訪ねる前の出来事ですよね? ストーリー通りに並んでないので分かりづらいです。なぜこんなところに?と思うんですけども。
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ただ気になるのはその下にある街のモチーフなんです。
一番下の段には左右ともに街をあらわすビルのようなものが描かれてますが。左がイエスが生まれたベツレヘム、右は終焉の地で復活の地でもあるエルサレムなのだそうです。
ヘロデ王の真下にエルサレムって、この並びにはなにか深い意味があるのでしょうか?


ここまででも随分と長くなってしまいました。
続きは次回にお届けします。


ぶどうの木

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サンタ・コンスタンツァ廟のモザイク ローマ イタリア

先生がキプロスの旅を続けているので、私は久しぶりにローマに回帰しようかなー、と昔の写真を漁っていたらとってもキニナル作品を見つけてしまいました。
なので今回の記事はこれにしましょう!

だってこのモチーフ、デジャブ感ハンパないです。
モザイクがあるのが床じゃなく天井で、色合いもちょっと違う感じですが、ぶどうの唐草模様に天使がいたり小鳥がいたり、、、
そう!前回先生がディオニソスの館で紹介していた説明によく似ていませんか?

ここはローマの北東部ノメンターナ通り沿いにあるサンタ・コンスタンツァ廟です。
この廟の主コンスタンツァ(コンスタンティーナ)は最初のキリスト教皇帝コンスタンティヌス大帝の娘です。彼女は敬虔なキリスト教徒で354年に亡くなりました。そしてこの廟が作られたのは350年ごろと言われています。

つまりここはキリストの信者が信者のために建てた霊廟のはずです。でも、、、
キリスト教が公認されて間もない時期って装飾に試行錯誤が見え隠れします。ローマ的なものをそのまま採用したり、意味を変えて転用したり。そういうの面白いなーと思います。

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建物の中は訪れる人も少なく、静謐という言葉がぴったりの空間です。
中央にドームがありその周りを回廊がぐるりと取り囲んでいます。この回廊のヴォールト状の天井に目的のモザイクがあります。

こちら光源も少なくまたコインでつく照明もあまり明るくないため全般的にピンボケの写真が多いです。見づらくてすみません。

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地色の白さが新鮮に感じますし深い紺色とのコントラストが印象的です。ぶっちゃけると古代ローマの床モザイクがそのまま天井に使われてる感じ? よく見ると、ところどころに金色のテッセラが埋め込んであって、お金がかかってるなーとも思ったり。そりゃ皇帝の娘の廟ですものね。

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↑ピンボケなのでサムネイルで失礼します。(クリックしたら拡大して見られます)
この辺り金色のテッセラが多く使われています。
様々な模様の中に、水盤の水を飲む鳩の模様があります。ここではまだ群像のなかに紛れてますがラヴェンナでは代表的なモチーフの一つまで格上げされてました。
鳩は聖なる水を運んでくるし、キリスト教的に使えそう! なんて後々の時代に偉い人がチョイスしたのでしょうか?

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最初のものと同じようなものがもう一つありました。女性の姿がこちらのほうがスマートです。
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真ん中のあたりに大きく描かれたこの女性の胸像はコンスタンツァだそうです。
ということは数ある中でこのモチーフがメインなのでしょうね。

ぶどうといえばモザイクではないのですが気になる品がもう一つ。
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コンスタンツァの石棺。廟に置かれているのは複製で(1枚目)オリジナルはヴァチカン美術館にあります(2枚目)。
浮彫にはアカンサスとぶどうの蔓でできた輪の中に天使のような姿の少年がぶどうを収穫したりぶどう酒を作ったりしています。

当時の司教たちはぶどうを収穫するシーンやぶどうの木というモチーフがキリストの教えに使えると思ったんでしょうね。
聖餐ではワインを用いてますから、ぶどうは無関係ではないのは確かです。
また聖書のヨハネ記15:1〜5ではキリスト自身が「わたしはまことのぶどうの木」であると言い、弟子たちを実り多き枝に例えています。
生い茂るブドウの蔓や枝でキリスト教の発展を願っていたのかもしれません。

とは言ってもディオニソス的なものも見逃しませんよ。
一見幾何学模様に見えるこちら、イルカがたくさんいます。ディオニソスを騙そうとした海賊の軍団の成れの果てです。

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廟にはヴォールト部分の他に2箇所のアプスにモザイクが残っています。
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こちらのモザイクはトラディツィオ・レギス(律法の授与)の場面を表したものなのだそうです。
キリストがペテロに巻物を与え、それをもう一人の使徒パウロが賞賛してるところで、巻き物には「主は平和を与える」と書かれています。
4世紀末ごろのもので現存するローマの教会モザイクの中でも最古だそうです。
おひげのないキリスト様がここにもいました。初期のキリスト様は若々しく麗しい姿なのがいいです。

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こちらのモザイクは神がモーセに十戒を授ける場面と説明されているものと、キリストがペテロに天国の鍵を渡す場面と説明されているものとあります。ウィキではイタリア語、英語共に後者の説をとってました。
4世紀作の物そのままなら球体に座ってらっしゃるのは神様でしょうけど(お髭が生えているので)後世に手が加わったりしてるとキリストかもってところでしょうか? 時期の説明もいろいろでなんとも言えません。 
ペテロにお髭がないのも珍しいです。

こちら、テルミニ駅の東マルサーラ通りを北に行ったイタリア財務省前のバス停から行けます。ノメンターナ通りに入る前の城壁の門はミケランジェロ設計のピア門ですので、そちらもお見逃しなく。

五輪フィナーレの日なので

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オリンピックにまつわるモザイク群 ローマ他 イタリア

連日テレビを賑わせていたリオオリンピックも今日で閉幕式ですね。
普段はテレビでスポーツ観戦はほとんどしない私ですが、この時ばかりは俄かファンとなり色々と楽しみました。寝不足の日々ともこれでお別れです。
のはずなのですが、悲喜こもごも感動のシーンを日々見ていたせいか、気分的には余韻をいっぱい引きずっている状態です。なのでいっその事今回の記事はオリンピック関連で!
どこかにモザイク無かったかなー? と思い出したのがこちらのモザイクです。

こちらはムッソリーニ時代にオリンピック会場として建てられたスタジオオリンピコとフォロ・イタリコの一画にあるプールです。モザイクに囲まれたプール。なんともイタリア!なんとも贅沢!
モザイクの上を素足で歩けるんですよ。どんな感じでしょう?

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フォロ・イタリコにもモノトーンのモザイクがあります。

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現代的に表現されたアスリートたちのモザイク 足がむっちりと太い感じ

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ひたすらひたすらDVCEの文字 何かなと思ったら Duce=総統 ムッソリーニのことだったのですね

こちらの建物の中にある会議場?には歴代のオリンピックのポスターが並んでます。1964年の東京オリンピックのときのポスターもありました。

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これだけだとなんだか消化不良です。
ローマ時代のモザイクでオリンピックっぽいものも探してみました。意外と近くにありました。
ローマ郊外、オスティア・アンティカの入り口から一番遠いエリア、ポルタ・マリーナの近くにあるその名もポルタ・マリーナ浴場です。

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アポディテリウム(脱衣室)の床に残る3世紀のモザイクです。
真ん中のテーブルには賞品が置いてあり、その周りにアスリートたちが描かれています。

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なんの競技かわかるような、わからないような、、、
シチュエーション的にオリンピックかどうかも定かではないですが、それっぽいでしょ。
そしてこの筋張ったこの肉体美、腹筋は見事に割れているし。この時代のアスリートの美しさが想像できて満足です。

このほかに手持ちのものでは、無理やりこじつけっぽいですがこんなのも。

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ナポリ国立考古学博物館にあるテセウスとミノタウロスの格闘シーン。レスリングやってます。

皆様も今一度ご自分の昔の旅行の写真を見返してみてみませんか?
見つかったらぜひ掲示板に投稿を、お願いします。

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