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Viaggio mosaico

〜モザイクをめぐる旅〜

南イタリアの教会にはヘタウマモザイクがいっぱい 2

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ビトント大聖堂の地下モザイク ビトント イタリア

前回のトラーニからすこし南下するとビトントという町があります。その旧市街の真ん中あたりにビトント大聖堂が建っています。
教会についたのは夜の7時過ぎ、外観は後で楽しむとしてとにかく中に入ります。

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プーリアロマネスク様式の典型的な教会で、石の風合いをたっぷり感じさせる内装です。そして足元には丸窓が。
覗いてみると、、、

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いきなり本命のご登場です。
そう、モザイクがあるのは地下! 地下に向かってまっしぐらです。

階段を降りると、そこにはなんとも魅惑的な空間がありました。足元が素朴なモザイクだらけです。
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この地下部分は昔の教会の遺構です。床モザイクがふんだんに施されてたんですね。

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幾何学模様多いですが通路部分にはクジャクのモザイクが。
クジャクはキリスト教では復活・不死のシンボルでしたっけ。

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こちらはクジャク? 別の鳥でしょうか。
そばには「初期キリスト教のモザイク5〜6世紀」との説明があります。

通路をまっすぐ突き進んだ奥にグリフォンのモザイクがありました。
モザイクの周りには正方形にぐるっと格別に分厚い壁が取り囲まれていて、この辺りに塔、または内陣の中心があったようにも思えます。
そしてこれまでと明らかに違う質感と絵柄。
実は9〜11世紀頃に改築(改修?)があったらしく、その際にこの空間に合うようにモザイクをはめ込んだようです。
小部屋の周りには通路で囲まれてるのでぐるっと1周できます。

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こんな角度や、

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こんな方向からも。

グリフォンはワシとライオンが合体した姿であることから、キリストの人間性と神性の二面性を象徴したものと扱われているようです。
周りを四角く囲んだ縁取りも正十字が連なっているのが面白いです。

上に戻る階段の足元には、かなり大掛かりなプレゼピオ がありました。

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こちらを見ていると 管理人のおじさんが 地下遺跡の電気を消し始めました。
ギリギリセーフだったようです。モザイクだけでも見ることができてよかったぁ、ふぅ。

では外に出て改めて外観チェックです。

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ファサードには3つの扉があり、中央の扉上の半円部分にはタンパン彫刻があります。
ここに表現されてるのはキリストの地獄への降下、つまりキリストが死後地下にある死者達の国を訪れ、地獄にいた人を救ったというエピソードなのだそうです。レリーフはアダムとエヴァを地獄から引き上げる情景、キリストがアダムの手を引いているのが見えます。(見えにくい?)
このモチーフは東方の正教会でイコンなどによく用いられるものなのだそうです。

まぐさ石部分(半円の下の梁みたいな所)には左から受胎告知・訪問・東方三博士礼拝・聖堂奉献が彫らています。
これらの装飾の脇に門番のようにいる生き物は、、、

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またもやグリフォンでした。
グリフォンと聞くとなぜかグルジアワインを連想する私には、アドリア海を超えた向こうのエキゾチックな文化を感じてしまいます。港町バーリが近いからかな?

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聖堂の全体像です。到着がすっかり遅れましたが、夜の教会も旧市街もいい感じです。
ここまで駆け足で回ってきたけれど、帰りはのんびりぶらぶら歩こうかな。

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南イタリアの教会にはヘタウマモザイクがいっぱい 1

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サン・ニコラ・ペレグリーノ大聖堂の床モザイク トラーニ イタリア

モザイクを習っているとつきない悩みの種、それは大理石の名前がなかなか覚えられないってこと。
アトリエの棚いっぱいに並んでいる多種類の石を思い浮かべてください。あれの全制覇はなかなか難しいですよね?名前を覚えてもその石の色や質感がすぐに思い浮かばなかったり、、、

そんな私でもちゃんと覚えている石の名前の1つが今回訪ねたこの町の名前だったりします。産地の名前が付いているんですね。
さすがに観光で出かければ覚えられるよねー
(と言いつつ、この記事を書き始めるのに、ト、ト、トラパーニ、、、、あれ?違う!ともたついたことは内緒♪)

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まだ日の明るいうちに旧市街をとった唯一の写真。
ランチを食べたレストランを写したんですが、外壁にトラーニを使ってるのでしょうか?

この町にとっても優雅で美しい教会があるのです。「プーリアの大聖堂の女王」と呼ばれてるんですって!海辺に佇むこの姿、納得です。

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教会は地元産の石材を利用して建造されているってことなので、この外壁も要注目ですよ。
夕刻近くなってるので色合いがちゃんと出ていないのが残念です。

1056~1186年の間に建てられたプーリア地方ロマネスク様式の建物で、装飾などじっくりみれば面白いものいっぱいあったと思いますが、駆け足で立ち寄ったのでモザイク以外は簡単に眺めただけでおしまいにしてしまいました。

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11世紀当時の最新技術で作られたブロンズ扉
今は教会の側面にありますが元は正面の扉でした。

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サンタ・マリア地下聖堂のフレスコ画
9世紀前半サンタ・マリア聖堂が建てられ、その上に現在の大聖堂が建てられたそうです。

さてここから本命のモザイクです。

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保護もなく大胆に椅子がそのまま置かれていました.。(数年前訪問時)

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アレクサンダー大王

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アダムとイブ

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足元にタコさん発見

創建当時のモザイクがそのまま残ってます。
詳しい情報がないのでどんな風に作られたかなど、わからないのが残念! 
どんな人がこれらの作品を作ったのでしょう?

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観光が終わって外に出ると辺りは夕暮れでした。
教会前の広場から見えるズヴェヴォ城 Castello Svevo
こちらも石材は現地産だそうで、、、

私にとってのトラーニは夕焼け色に染まったくすんだアイボリーカラーです。

モザイクの学校へ行こう!

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フリウリモザイク学校 スピリンベルゴ イタリア

トリエステのあるフリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州にはもう一つ忘れてはいけない場所がありました!
スピリンベルゴです。

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学校のロビーにあるスピリンベルゴを描いたモザイク 川に囲まれたまちなのです

観光地ですが、モザイチスト or モザイチスタを目指す方なら勉学&修行の地として有名かも? 
イタリアにして唯一のモザイクオンリーの専門学校であるフリウリモザイク学校(Scuola Mosaicisti del Furiuli)があるところです。イタリアの他の町にもモザイクを学べる場所はありますが、たいてい芸術学校の中の1つの科目として取り扱われているということだそうです。
(当時そんな風に話を聞きました。真偽のほどは?ですが)

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今は使われていない旧校舎には素朴で愛らしい看板が残ってました。なぜかモザイクじゃなく金属製です。

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この学校は町の観光案内マップにも載っていて、見学・観光ができるようです。
外装も内装もモザイクがふんだんに用いられてますし、また学校の廊下や一部の部屋には博物館よろしくレプリカ作品やオリジナルの作品などが豊富に展示されているのです。

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階段の手すりにもモザイクの装飾

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ブレーメンの音楽隊はトイレの壁にありました。
カフェのテーブルも1つ1つ違ったモザイクが施されてました。


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廊下にはモザイク作品がずらり

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各地のモザイクが一堂に集まると圧巻です!

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エスニックな置物やタペストリーもモザイクで

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ラファエロの聖母子、まるでそのままです

専門の学校が一つあると町全体に色というか個性が生まれます。
スピリンベルゴの町はモザイク産業を中心に発展しているように見えました。モザイク作家の工房や材料のズマルトの工房もいくつかあり、見学の機会にも恵まれました。

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あとホームセンターというか荒物屋というか、その中間のようなお店に行くとモザイク作りに必要な工具や道具がちゃんと揃っていて便利だなと思った記憶があります。ここにいればモザイク作りに集中できる環境が作れそうでした。

私たち目線から見るとモザイクの町ですが、旧市街は中世の装飾がふんだんに残っていて本当に可愛らしいまちです。

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住宅街もなかなか侮れないところもあり、、、
(結局モザイク探しを楽しんでいる)

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観光としてもぜひ立ち寄って欲しいなと思います。


※本記事の記述は5年ほど前の体験に基づく内容です。状況が変わっている可能性があるので、学校へ訪れる際には事前確認をお勧めします。





おまけ

モザイク学校でこんなパネルを見つけました。
和歌山県白浜にあるホテル川久の入口ロビーの床のモザイク
ここの学校の職人さんたちが手がけたそうです。
夏休みにお近くに寄る機会があれば、お茶でも飲みに立ち寄ってみてはいかがですか?

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ラヴェンナとヴィザンチンの間で

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サンジュスト大聖堂のモザイク群 トリエステ イタリア

イタリアの東の端っこの街トリエステです。
アクィレイアに行った時についでにイタリアの端っこまで行ってみようか、ぐらいの軽〜い気持ちでやってきました。

観光の中心ポイントは海に面したイタリア統一広場。ひろびろとしてて開放感抜群です。
広場の一角には黄金色と爽やかな緑色のモザイクで装飾された美しい建物がありました。これはゴヴェルノ宮、現在は政庁舎として使われています。

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この広場の裏手にサンジュスト城の建つ小高い丘があります。坂道は大変ですが、がんばって丘を登ると海の見下ろせる広場にたどり着きます。この広場の一画にはローマ遺跡が残っており、隣り合うようにサン・ジュスト教会があります。どうもローマの神殿の跡地に教会を建てたようです。

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教会に入ってまず目につくのは中央正面のモザイク。1932年、G.カドリンによって作られたものです。

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これはこれで素敵なのでしょうけど、こちらの教会の目玉は左右の側廊奥にあるアプスのモザイクなのです。
左側廊はこんな感じです。
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側廊という割には幅もたっぷり椅子まで付いていて、すごく立派な造りにビックリです。
この教会横幅が広くて五廊式なのでこの側廊の左にもさらに側廊があります。右目をつぶってみるとこれだけでも教会のように見えませんか?

実は早々に種明かしをしちゃうと、この教会は2つの教会をドッキングさせて作った教会なのです。
まず最初に5世紀頃に最初の教会が作られました。その後しばらく放置され崩壊していたようですが11〜12世紀に2つの教会が並んで立てられました。1つは聖母マリアを祀るアッスンタ教会、もう一方が聖ジュストを祀るサン・ジュスト聖堂です。そして14世紀に統合されサン・ジュスト大聖堂として現在のような姿になったのです。

今、私たちはかつては聖母マリアに捧げられた教会の後陣にあったモザイクを見ています。12世紀のものだそうです。

中央にはイエスを抱えるマリア、左右には大天使ミカエルとガブリエルがいます。
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中央の聖母子像はアヤソフィアのそれを思い出しました。マリア様のお洋服の四つ菱模様も同じです。

(参考図)アヤソフィアの聖母子像
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その下は12使徒です。窓で途切れてますがその右側にもう3人います。
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こちらは右側、聖ジュスト教会の後陣を飾っていた13世紀ごろのモザイクです。キリストを中心に、聖ジュストと聖セルヴォロが描かれてます。
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キリストの足元! 踏まれていたのは悪の使いだそうで、鳥かと思ってびっくりしました。
その下にあるキラキラマット、ラヴェンナを彷彿とさせます。
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このお方が聖ジュストです。体に纏った金地に華やかな模様の入ったマント(?)がラヴェンナっぽい。
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円蓋から柱頭へかけてのモザイク、金色が乱反射してごつごつっとした質感を感じます。装飾がやっぱりラヴェ、、、(以下略)

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モザイクばかりを目指してみていると、そちらばかりに気を取られて失敗することが多いです。
前の写真も撮る時はモザイクに熱中していたのですが、その下にフレスコ画があることに気づきました。かなり状態の良さそうな感じなのに、、、一体どんな絵があったのでしょう?今更ながら気になります。

教会の床には5世紀の創建当時のモザイクが一部残っていました。
ワンポイント模様みたいで可愛いかったです。

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アッピア街道の向こうに

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ローマ邸宅のトリクリニウムの床モザイク MARTA ターラント イタリア

ブーツ型をしたイタリア半島のかかとに当たるところにターラントという町があります。

車で行けば長い長い旅程、高速を降りて走るこの道はかつてのアッピア街道です。向こうに見える煙、近くに工場地帯があるようです。ウィキによれば「ターラントは南イタリアで3番目に大きな町で重要な軍港と商業港を有し、製鉄所、石油精製工場、化学工場、造船所(戦艦)、食品加工工場がある」のだそう。
イタリアにもちゃんと工場があるのね。ローマの景色に慣れた身には、なぜかこのパワーのある風景がひどく新鮮で心揺さぶられます。
聞いたところによると、ターラントの軍港は海上自衛隊の船が立ち寄ることもあるのだそうです。

町に入ると目につくのは港町の景色、うーん! 青色がまぶしい!
太陽も真冬とは思えない程力強く輝いています。

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さてそんなターラントでまず立ち寄ったのは旧市街にあるサンカタルド大聖堂です。

10世紀の創建で、時代を経てロマネスク様式とバロック様式が混在するようになったファサード、内部奥はカラフルな大理石で装飾されています。

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そ、し、て、床にはなんとも愛らしいモザイクが!
欠損している部分が多いですが、床のあちこちにヘタウマ系のモザイクがあります。
こちら1160年にジラルド司教の委託を受け、モザイク作家のPetroiusによって作られたものです。時代的にもイタリア南部の類似例からもロマネスク様式に当たると類推しているのですが、なぜかビザンチン様式と説明する日本のサイトがあり混乱しております。

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でも、私の本命はこちら、新市街にあるMARTA(Museo Nazionale Archeologico di Taranto)近年作られた(改装された?)ばかりのモダンな博物館です。

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博物館に入ってすぐロビーで迎えてくれたのはギリシア彫刻の巨匠リュシッポスのブロンズ像の複製。
本物はターラントがローマに征服された紀元前209年にローマに運ばれたそうです。
ちょうどその頃第二次ポエニ戦争の戦利品としてシラクサからもギリシアの美術品が数多くローマに運ばれてました。ギリシア芸術がローマ市民の目に止まり始めた時期の一品だと思います。

元々ターラントは紀元前8世紀末にギリシア人によって作られた町なので、ギリシア時代のの出土品がメインです。

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その中でもここの見所は、紀元前に作られた金細工。
虫眼鏡で見ないとわからないほどに精巧に作られたこの細工、素敵です。

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意外とここはローマの出土品も充実していて、モザイクの展示品も多数ありました。
一番の目玉がこちらのモザイク。1890年代末にIstituto Maria Immacolataの邸宅跡から幾つか見つかったものの中の一つです。3つのモザイクが一連で展示されていたので、この3つがまとまって出てきたものと思います。

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このモザイクはペリスタイル(柱で囲まれた中庭)の一角にあったトリクリニウム(宴会場)を飾っていたものと思われています。中央にはギリシアの神がニンフをさらっている様子が描かれています。この模様はタラントのモザイクの中では非常にまれなものだとか。
このモザイクの量と質、かなり身分の高い人の邸宅だったのでしょうね。

このほかのモザイクも一部ご紹介。

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まだパッケージされたままのモザイクも!

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実は私がここを訪ねたのは2012年の冬でした。最近の様子を調べると、もっとモザイクの展示数が増えているようです。おそらくこちらの中身も今は見られるのではないのでしょうか?

MARTAはホームページも力を入れているようです。
よかったら参考にこちらもどうぞ。
http://www.museotaranto.org/web/index.php?area=1&page=home&id=0&lng=en

ニワトリとカメ

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アクイレイア大聖堂のモザイク群 アクイレイア イタリア

今回も引き続きアクイレイアです。

前回の記事で教会の中のモザイク2枚目の写真、幾何学模様だけと思っていたら隅っこに大事な絵柄が写り込んでいました。
鶏と亀が向かい合っている姿です。

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曰く鶏はキリスト教に目覚めた知恵のあるものの象徴で、亀はまだ気付かぬ無知なものの象徴なのだとか。
亀さんがおバカ扱いなんですね。ニワトリよりもおバカ。
でも亀って中国では知恵と長生きの象徴だし、日本も鶴と共に長寿の象徴、縁起物であります。古代インドの宇宙観では世界を支えているのが大亀でした。もしもしカメよカメさんよー のウサギとカメの元ネタはイソップ童話、古代ギリシャだってノロマではあるけど堅実な努力家であるイメージです。
なんだかとっても意外な気持ちがしました。

ともかくこのモチーフはこの教会でも代表的なものみたいで、お土産屋でもよく見かけました。
そんなことを頭の隅っこに残して、今回はこの教会の別の部屋にあるモザイク群をご紹介します。

教会の向かって左側にはクリプタ(地下聖堂)があります。
中に入って最初に目につくのは、素朴な素朴なモザイクたち。そうここはさらに古い時代に作られたモザイク群があるのです。1世紀ごろのものという記述をどこかで見た気がします。

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そしてでっかい壁の周りには綺麗で新し目のモザイクがあります。こちらは教会の床と同じ時期に作られました。
でかい壁は後の時代に建てられた鐘楼の基壇部分。初期の信者たちが一生懸命考えて作ったであろうモザイクは、もうどうでもよかったんでしょうか? それとも周りにあった古代ローマ時代のモザイクと同じと勘違いして潰されちゃったのでしょうか?

こちらのコーナーにあるモザイクは一言で言えば美味しそう! 食材の宝庫に見えます。

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ロブスターとシビレエイ(ヤマザキマリさんのツイッターでひところ盛り上がってました)

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エスカルゴ

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きのこ

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これはキジでしょうか? 巣を作っているところだそうです

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タコのようなイカのような

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ヤギの隣にあるのはモッツァレラだとか

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と例のモチーフ発見

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うーん、この流れで見たら食材にしか見えませぬ。
都合のいい絵柄だけ引っ張り出して、ストーリーを盛っているのでは? ひねくれた私はやっぱりそう思うのでした。


あとがき

今回の記事は前回から比べてすっかりとトーンダウンしてしまいました。
というのも、最初の構想時にはこちらのクリプタのモザイクは全てローマ時代の邸宅のものと思い込んでいたためなんです。つまりニワトリとカメのモザイクも元々ローマ時代のモザイクを宗教用に転用したと勘違いしていたわけで、、、
記事を書くにあたり改めて調べ直したところ、鐘楼周りはAD314年とあり、あえなく撃沈。
苦しい仕上がりになってしまいました。


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