
パレルモのパラティーナ礼拝堂 シチリア イタリア
さてお次は王宮へと向かいます。
行く道すがら見える景色や建物も異国情緒を漂わせ、アフリカに近いなあと感じます。
大聖堂の装飾もどことなくイスラム建築っぽいです。

そして王宮のマクエダの中庭に面するパラティーナ礼拝堂の入口にやってきました。
入口もすでにモザイクの装飾がふんだんに施されています。

戦いのシーンを描いているこのモザイクは19世紀の作品です。
中は筆舌に尽くしがたいほどの豪華絢爛な空間です。正面の様子はトップ画像の通り。
ルッジェーロ2世が自分や家族用にこの礼拝堂の建築を作らせました。王が建築を命じたのが1130年、仕上がったのは1143年、なんとわずか13年でこれだけの空間にモザイクを施したのです。職人さんたちさぞかし大変だった事でしょう。
モザイクは旧約聖書や新約聖書の様々なシーンを数多く表現しています。その中でも分かりやすそうなのを。。。

主身郎の壁の上段には天地創造の後半部分が描かれてます。太陽と月を星を作って、魚と鳥を作って、家畜と人も作って、どっこいしょとお休みをしているところです。真ん中の柱の上にあるのはバベルの塔ですね。そして、んんん?
左にいらっしゃるお方、かなりふしだらなお姿でお休みしてらっしゃいます。青年たちが「やれやれ」と言わんばかりに布をかけているのですが、こんなシーン聖書にあったでしょうか?
アップにしてみます。

どうみても、布で隠さないととんでもないものが見えちゃいそうな感じです。隣にNoeという文字がありますが、もしかしてこのお方、あの箱舟のノアなのでしょうか?
気になったのでウィキってみると、ありました!大洪水後のエピソードにこんなのが。
「その後ノアは葡萄を栽培していたが、あるときワインで泥酔して裸で眠ってしまった。ハムは父の裸を見て兄弟たちを呼んだが、セムとヤペテは顔を背けて父の裸を見ずに着物で覆った。ノアはこれを知るとハムの息子カナンを呪い、カナンの子孫がセムとヤペテの子孫の奴隷となると予言した。」
白い服を着て指をさしているのがハムなんですね。しかし裸を見られたからといって末代まで呪うとは。。。
洪水で唯一救った人間がこれでいいんですかねー?
モザイクの量が圧倒的なので残りは動画でお楽しみください。
お知らせ
来週5月4日は祝日のためブログをお休みします。
よろしくお願いします。

パレルモのマルトラーナ教会 シチリア イタリア
春のシチリア、のどかなぽかぽか陽気を期待していた私はかなり間違っていたようです。日差しはポカポカを通り越してすでにギラギラ。道端では日傘が売られています。これはお肌に良くありません。慌てて土産物屋さんで帽子を購入する羽目になりました。

私が今いるところはベッリーニ広場、3つの赤いクーポラが可愛いサン・カタルド教会の前です。その隣にあるマルトラーナ教会に入りたくて待っているところです。先ほどちらっと入ってみたらパスクワのミサをやってました。

ミサの邪魔にならない程度にこそこそと何枚か写真はとったものの、やっぱり物足りないです。

亀のような姿の老人は、ルッジェーロ2世王の命を受けこの教会を建てたジョルジョ・ダンティオキア提督

シチリアの初代国王になったルッジェーロ2世にキリストが戴冠する様子
このお方こそがシチリア各地にキラキラモザイクな建物をいくつも建てた張本人です。前回のチェファルの大聖堂もその一つ。王宮にあるパラティーナ礼拝堂も彼によるものです。モザイクファンとしてはありがたく崇めるべき?かもしれません。彼を含む歴代の王朝をオードヴィル朝というのだそうですが、東方との交易も多く、進んで東方文化を取り入れたのだそうです。
対立教皇がシチリア伯だった彼に王位を授けたことにより初代国王となりました。対立教皇という言葉、初めて聞きました。なんだか政治の匂いがプンプンします。きっとカトリックの世界ではいろいろと裏事情があったのでしょう。それにもかかわらず、そんなことは何処吹く風とばかりに東方の正教会を建てちゃって、モザイクにはキリストから直接戴冠してもらっている様子を表現してるのです。どういう心情でこの作品を作らせたのか、想像するとなかなか面白いものがあります。

キラキラモザイクの林、ウットリします。
さて改めて、実際にはここからしばらく時間が経つのですが、その他のモザイクもご紹介していきましょう。

4人の大天使に囲まれた玉座のキリスト

神の手から聖霊の鳩がビビビっとマリア様に、これはご懐妊の瞬間ですね

左側にはちゃんと大天使ガブリエルが
この教会は別名、海軍提督の聖母マリア教会 Chiesa di S.Maria dell'Ammiraglio というだけあって、マリア様にまつわるエピソードがいろいろとあります。

キリスト誕生のシーン 右下が気になります。キリストが産湯に浸かるところ?洗礼ではおかしいし、どなかた説明できる方いませんか?

聖母被昇天。キリストが抱えているのが赤子の姿となったマリアの魂
この表現はビザンチン独特のものだと思います。
その他にもいろいろと。
背景の金色モザイクが一体的と言うのでしょうか、継ぎ目があまりなく、金箔を貼ったかのような感じが印象的でした。ベネチアのサンマルコ寺院のクーポラに似ているかな?ベネチアから職人を連れてきたという情報をどこかで見たのですが、真偽のほどはともかく、さもありなんって感じです。末期のビザンチンモザイクの特徴なのかもしれません。



かつての東ローマ帝国もこのようなモザイクがたくさんあったのでしょうか?
最高峰とも言われるビザンチンモザイクに囲まれて至福の時を過ごしました。

チェファルの大聖堂 シチリア イタリア
ヴィラ・ロマーナ・デル・カサーレの観光が思いの外早く終わってしまいました。このままパレルモに戻るのもなんだかもったいない。。。ということで海沿いの街チェファルにやってきました。目的はもちろんこちら!
大聖堂です。

ノルマン様式の教会
中はガランとしていて人がほとんどいません。モザイクは身廊の奥ふかくにありました。

ずいぶん手前からの写真でしょう?でも柵があってこれより先には進めないのです。ど、どうしましょう?
浮き彫りのレリーフも価値のあるスバラシイものでしょうけど、こうなるとうらめしくなってきます。
あと灯りがねえ。多分探したと思うんですが、ちょっとその辺記憶があいまいです。なのでせっかくのキラキラモザイクがぜんぜんきらきらしていません。お見苦しくてすみません。


サイドも撮りたいのに。。。

ちょっと残念な結果になってしまいました。
もう少しちゃんと下準備をしておけばよかったと反省。
チェファルは映画ニューシネマパラダイスの撮影地にもなったリゾート地だそうですが、あまりゆっくりする時間もなく、あとは駐車場に戻りがてら旧市街をぶらぶらと。


シマシマのところだけ岩肌が違って時代を感じます。

パスクワの飾りが小さな教会前の広場にありました。

去り際に振り返ってみたロッカ 町の守り神のようでした。
帰り道、夕焼けで空一面が真っ赤です。パレルモに急ぎましょう。


ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ シチリア イタリア
ブログの最初の旅行記はちょうどこの時期、パスクワ(イースター)休暇を利用して出かけたシチリア旅行から始めたいと思います。実はシチリアは2度目、モザイクを始める以前に一通り回っています。なので今回は本当にモザイクだけに特化した旅行でした。
シチリアの古代ローマモザイクといえば、何と言ってもこちら↑ですよね。
ローマからの道のりは本当に長かったです。先ずは車でひたすらナポリ方面に、その後フェリーに乗ります。船の中で一泊。朝目覚めた頃にパレルモの港に着きました。



目覚めに飲んだオレンジジュースが真っ赤です。
その後ひたすら目的地に向かってひた走ります。お天気が良くなってきました。
さてカサーレの別荘ですが最近リニューアルしました。確か2011年頃には工事で中に入れないという噂を聞いていたのでその翌年くらいでしょうか?以前と比べてグッと高い位置からモザイクが見られるようになったのです。写真が格段に撮りやすくなりました。
↓ こんな感じ

またモザイクの説明パネルが充実していました。
例えば冒頭の写真、ここはフレスコ画とモザイクの両方が残る第4ルームですが、パネルは下のようにイラスト共に説明されています。


興奮して写真を撮ったものの、後から見返してなんだっけ??の連続だった前回。でも今回はおかげで見学もわかりやすく写真の整理の混乱も減りました。リピートして良かった♪
ここのモザイクの中でいつも気になることが一つあります。それは見学コースの最後に出てくるこれ。

有名すぎるこの作品、某ガイドブックの解説で「オデュッセウスとポリュペモス」と載っていることもあり旅行記やブログを見ているとこの名前で紹介されることが多いですが、これ間違いなんです。表題はオデュッセイアの一節を現していてポリュペモスは一つ目の巨人の名前なんです。
おそらくはこちらの解説と間違えて載せちゃったのでしょう。

じゃあ上の作品の真ん中は誰?となるわけですが、今回のパネルのおかげでわかりました。キューピッドとプシュケーです。こんな美しくエロチシズム溢れた題材に巨人の名前って!(爆)
そんなツッコミも交えつつこちらもお楽しみください。
ひとしきり堪能したらお土産やさんをぶらぶらと。モザイクキットを売っているお店が幾つかありました。
