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Viaggio mosaico

〜モザイクをめぐる旅〜

エジプトに恋い焦がれたローマ人?


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ナイルモザイク パレストリーナ イタリア

またもやローマ近郊です。週末のお出かけにはこういうところが行きやすいですから。
行き先はローマからほぼ東に30キロ程行った所にあるパレストリーナです。

ここは紀元前7世紀にはすでに存在していたという古い歴史を持つところだそう。丘の斜面地に建物が貼りついたような、そんな小さくて可愛らしい町です。

この斜面に紀元前2世紀頃につくられた、フォルトゥーナ・プリミジェニアの聖所の遺跡があります。以前はこの上に中世の建物が建っていたのですが、第2次世界大戦時に連合軍の爆撃により破壊されて、その下にある遺跡が見つかったのだそうです。

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かなり勾配のきついところに、何段も重なったフォルトゥーナ神殿。後になってその最も高い位置にバルベリーニ宮殿が建てられてました。

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宮殿は現在、考古学博物館として利用されています。この遺跡からの出土品等が主です。ローマ以前のもの(エトルリア)や共和制ローマ時代、帝政ローマ時代のものなどが目に付きます。
床モザイクも幾つかありました。

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でも窓辺から見下ろす景色の素晴らしさも見逃してはいけないと思うのです。

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そんなのんびり気分で見学してましたが、建物最上階に上がるといきなりモードが変わっちゃいました。
なぜって、ナイルモザイクの登場ですから!!
見てみてびっくり。今まで見ていたモザイクとは全く別物なんです。とにかく細工がすごく細やか。床モザイクの中心部にのみ精密なモザイクが施されているものにお目にかかることはありましたが、全面的にこの大きさで(あ、サイズがわからないですね、調べてみたら幅5.85m × 高さ4.31mでした)作っちゃうなんて。遠目から見ると完全に絵です。近寄って初めてモザイクの粒一つ一つが分かる感じ。作品の手前2mあたりに柵が設けられているので、腰が痛くなるほど前のめりになって見てました。

このモザイク、フォルトゥーナ神殿の床を飾っていたのだそう。これだけ細かいということは相当の技術者が集まってきたはず。聖所の重要さが窺い知れますね。
中に登場する動物たちはなかなか風変わりな様相をしたものもいます。ローマで遠くエジプトの地に想いを馳せながら、想像豊かに作ったのではないでしょうか?作り手の情熱が伝わってきます。中には動物なのに顔が完全に人間でかなりファンタジーなものもいます。オーパーツとして楽しむのもいいですけどね。

今回も動画でお楽しみください。




ちなみに私のお気に入りは

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さるかに合戦?in ナイル です。




追記(2015/6/30 0:13)
コメント欄に興味深い説明をいただきました。そちらもぜひごらんください。

伝説の地で貴重なモザイクに出会う!

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ゴルディオンのモザイク トルコ

前回取り上げたアレクサンドロスですが、イッソスのの戦いの前にゴルディオンに立ち寄ってます。ここにはこんな伝説がありました。

この町の中心にあるゼウス神殿に古い戦車が祀られていました。かつて王都ゴルディオンを立てたゴルディアス王はこの戦車を丈夫な紐で複雑に結え付け「これを結び目を解くことができたものこそ、このアジアの王になるであろう」と予言してました。この「ゴルディオスの結び目」をアレクサンドロスは、腰の剣を振り上げ、一刀のもとに結び目を切断します。折しも天空には雷鳴がとどろき、驚いた人々を前に、大王の従者のアリスタンドロスは「たったいま我が大王がかの結び目を解いた。雷鳴はゼウス神の祝福の証である」と宣言しました。

ゴルディオンはトルコの首都アンカラから南西に約100キロののところにあります。アレクサンドロスの伝説の地を目指して行くと、そこには大きな墳丘がありました。この墳丘は「王様の耳はロバの耳」で有名なフリギア国のミダス王の墓なんだそうです。
このお墓の中、長い長い廊下の先は檻で遮られ、丸太組みの構築物が見えるだけです。これがお墓のようです。


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そばには小さな博物館、入口に例のアレクサンドロスのモザイクがあります。そばでみるとなかなか素朴な作りのアレクサンドロスです(笑)
中の展示物はミダス王の墓から発掘したものの展示が主でした。アレクサンドロスに関してはパネルとヘレニズム時代のものがちょこっと。

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そして博物館の敷地にも何かありそうだなぁとぶらぶらしていると、モザイクが見えてきました。黒白赤の小石を使ったパッチワークのような可愛らしいモザイク。

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ひとしきり楽しんだ後、そばにあったパネルを見てびっくり!
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世界最古の床モザイクって書いてあるんですけど……
ホント???
説明文には紀元前9世紀とか書いてありますが、劣化とか特に見られないので俄かに信じられないです。ドッキリ?それともトルコが見栄張っちゃって数字を盛ってるとか??(←あまりのことに思考回路がすでにオカシイ)

こういうのってモザイクをやってる人なら誰でも知ってる有名なもので、わざわざこれを見るために来るようなものだと思うんですよ。でも、わたしはなにも知らずぶらっとやってきたついでに見つけちゃったもので、申し訳ない罪悪感と自分の無知を恥じてしまったりして、非常に非常に複雑な気分でした。

ちなみにその後、Studio Mosaicoの先生に連絡をして真偽を確かめたところ、当然ですが本物でした。


RIMG0236.jpgついでですが、トルコではアレクサンドロスのことをイスカンダルと呼びます。
そしてこちらはイスカンデルケバブ。この上に熱々に溶かしたバターをかけて食べます。アレクサンドロスとは全く関係がないそうです。




モザイクで見るアレクサンドロス大王

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ナポリ国立考古学博物館所蔵「イッソスの戦い」 イタリア

古代ローマモザイクをやっているとこのお方は欠かせないですよね。

alex.png生まれはマケドニア王国のペラ。父親はマケドニア王フィリッポス二世です。このお父様はなかなかの戦術家だったそうで、長槍を携えた重装歩兵を最初に有効に活用した方のようです。6mぐらいの長槍部隊を大型化し密集させて突進させるんだとか。素人の想像ですがかなりの迫力がありそうですね。このマケドニア式のファランクスを使った新戦術は無敵だったそうです。

右はそのペラで発見された小石モザイクの代表作の一つ「ライオンと闘うアレクサンドロス」の一部。若き日のアレクサンドロスと言われてます。なかなか麗しいお姿ですねー。いつか行って本物を見てみたいものです。

20歳の若さでマケドニア王を継承したアレクサンドロスはこのファランクス部隊を従えて大遠征を始めます。当時の対戦相手はアケメネス朝ペルシア。その最後の王と戦った場所が現在のトルコに当たるイッソスだったのです。ダレイオス3世が率いる軍は十万、対するアレクサンドロス軍はギリシアの同盟軍を加えても4万に満たなかったのだそうです。でも歴史の結果を知っている私たちは、数の差をものともせずにアレクサンドロスが勝利したことが想像できます。

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なぜこんなことを延々と説明したかと言いますと、こちらのモザイク画、わたし今まで後ろにある槍はダレイオス3世の軍勢のものとばかり思っていたからなのです。位置関係から素直に見ると、そう思えますよね?だから普通の対戦シーンだと何の疑問も持たずに見てました。
でもこの槍がマケドニアのファランクスのものとなると、話は全く変わってきます。というかダレイオス3世、マケドニア軍に回り込まれて絶体絶命のピンチじゃないですか?

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危険を察知して退却すべく馬車の向きを変えようと必死の御者、突然鞭打たれて馬達は慌てふためくものの足並みがそろわずもつれてます。
そしてアレクサンドロスは目前の敵将にトドメを刺すべくしっかりと前を見据えているところ、なのですね。

「マケドニアには最強の長槍部隊があった」
そんな一言を耳にしたところからこの記事を作りました。

皆様の目にはこの作品はどんな風に映っていましたか?

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