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Viaggio mosaico

〜モザイクをめぐる旅〜

エーゲ海とモザイクと その2

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シナゴーグのモザイク サルディス トルコ

エーゲ海沿岸の大都市イズミールから85kmほど内陸に入ったところにサルディスがあります。
この街の歴史は古く、アレクサンドロス大王が征服する前はアケメネス朝ペルシアの主要都市、そしてそのもう一つ前の時代はリュディア王国の首都だったそうです。リュディア王国は紀元前7世紀 - 紀元前547年頃にトルコの西側にありました。
世界最初の金貨・銀貨を作ったところでもあるようです。

歴史的にはすごいところのようですが、その割に観光地としてはあまり知られておらず、私達の他に観光客は誰もいませんでした。

観光の目玉はこちらの運動場です。一部復元もされていて当時の雰囲気がよくわかります。
ですが、目的は運動場に近い別の一画なのです。

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運動場を背にすると右手の方に広めのまとまったエリアがあります。低めの壁で仕切られているのですが、その中程に壁を越えられるように階段が設えてあります。この階段近辺からの景色がこんな感じです。

右側
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左側
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かなりの量のモザイクが見えるのがわかるでしょうか?
こちらの建物はシナゴーグ(AD2世紀半ば〜616年)です。古代ローマ時代にシナゴーグとはなんとも不思議な取り合わせのような気もするのですが、その道の専門家にとってみても古代ローマ帝国とユダヤ教徒の関係性を示す貴重な場所なのだそうです。どういうことかは私にはサッパリですけど。

こちらのだだっ広い空間はメインホールであるとの説明がありました。右奥が建物の最奥部にあたります。こちら最初は運動場と公衆浴場の複合施設の一部で着替えや休憩に使われていました。その後にシナゴーグに転用されたようです。
モザイクは4世紀のもの。幾何学模様ばかりですがその一部をどうぞ。

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天然石とは思えないほどの綺麗な色合いの薄いブルーや紫色。実物はもっと発色が綺麗で印象的でした。

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左手の奥にはもう一つ空間があります。こちらがシナゴーグの前庭部分に当たります。

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真ん中の大理石の噴水でお祈り前のお清めをしたようです。そして列柱の周りの床全部ぐるっとモザイクで覆われています。パネルのように区画に区切られていてそのなかは様々なモチーフが。まるで色々な模様の絨毯をいくつも並べているような感じです。
現地の説明によると、こちら4〜5世紀の頃のモザイクで区画ごとに寄進されていたようです。文字のついた部分があって何かなー?と思っていたら寄進者の名前をでした。

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おまけ
メインホールの突き当たりのアプス部分の床にもモザイクがあったようです。パネルの説明では「このモザイクのオリジナルはマニサ博物館にあります」とのこと。
知っていたらイズミールからこの遺跡に来る途中に立ち寄ったのですが、日程的に引き返すこともできず残念。
こちら方面の予定がある方、プランに組み込んでみます?
ただし、展示物の内容については保証できかねますので、あしからず。



エーゲ海とモザイクと その1

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メデューサのモザイク ベルガマ博物館 トルコ

今回からしばらくトルコシリーズです。
トルコもモザイクの豊富な国ですよね。なんといってもビザンチンモザイクの本場ですし、古代ローマモザイクにも事欠きません。特にシリア国境近くに有るガジアンテップのモザイク博物館は質の高さ、量ともに、世界でもトップランクに入ると思います。でも今は、、、
タイミングが悪くて残念だなーとは思いますが、仕方ない!行けるところに行くだけですよ。
あ、でもどなたか以前にあちら方面に行かれた方、ぜひ寄稿をお願いします。どんな感じかすごく知りたいです!(切実!!

ということでまずは2014年に世界遺産に登録されたばかりのベルガマから始まります。
ちょっと表記が揺れてますが、私の中ではベルガマは今の町の名前、ペルガモンは古代の都市の名前という認識になっています。

ペルガモンはヘレニズム時代、紀元前3〜2世紀にアッタロス朝の都として繁栄した都市だそうで、その後はローマのアジア属州になりました。
ここからはヘレニズムの至宝が多く発掘されてるようでして、ドイツのベルリンにあるペルガモン博物館には「ゼウスの祭壇」の一部(といっても1/3なので大きいですが)まるまる展示されていて、それが目玉になっています。
あと「瀕死のガリア人」というローマのカピトリーノ博物館に収蔵されている一級品もここからでているし、なんだか期待できそうです。

遺跡は、上のアゴラ、中のアゴラ、下のアゴラと3段構成になっていて、上の方はかなり標高が高いところにあります。でもご安心ください。ちゃんと上まではゴンドラで登れますから。

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目玉は上のアゴラに集中しています。とはいっても基礎部分ばかりであまり残ってないですね。見栄えがするのはこちらのトラヤヌス神殿と劇場くらいでしょうか。

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斜度がすごいので、この景色は圧巻です。

ゼウスの祭壇は本来ここにありました。
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普通ならここで終わりなのですが、私たちはそうはいきません。中のアゴラあたりに「遺構Z」なるものがあって、そこにモザイクがあるらしい、という情報があったのです。ゴンドラで上がったあの斜面をえっちらおっちら降りていきます。
坂道は一応あるのですが、順路の表示もなくてわかりづらく、行ったり来たり迷いながらでなかなか大変。世界遺産に登録したならちゃんと整備してよー、つい恨みがましい言葉も出てきます。

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しかし、頑張って降りてきた「遺構Z」ですが、扉に鍵がかかっていて中に入れませんでした orz
悔し紛れに看板だけ。
ツアーとかじゃないと見れないってことなのでしょうか? 入口で確認を取った方が良かったと後悔しました。そもそも見れないなんて想定してなかったので、そんなこと思いもよらなかったのですが。

もし行かれる方があれば、お気をつけて!

そしてここで私が唯一見れたモザイクはトップ写真のものだけ。
これは上のアゴラの建物から見つかったもの、と説明がありました。

いろいろな時代をくぐりぬけてきました

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サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会のモザイク ラヴェンナ

今回の記事でラヴェンナシリーズは終わりです。
最後に旧市街ではなく新市街、ラヴェンナ駅のすぐそばに行きます。緑がまぶしいの公園の脇にそびえる古そうなレンガ造りの建物がサン・ジョバンニ・エヴァンジェリスタ教会です。
建てられたのは5世紀の中頃、ラヴェンナ最古の教会です。聖ヨハネがガッラ・プラキディアの前に現れこの教会を建てるように告げたという逸話もあるそうです。第2次世界対戦の爆撃で酷く損傷したのですが修復されました。

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教会の入り口、どこまでがオリジナルかちょっとわからないですが。。。


教会の中は残念ながら壊れちゃってて、ほとんど残っていません。でももともと内陣や周辺にはモザイク装飾があったみたいで、手描きのパネルが置いてありました。残ってたら凄かったんだろうなー、残念だなー。

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でもこれ、色合いといいもう少しなんとかなりませんかねー?

その代わりというわけではないですが、教会の壁にはモザイク片がずらりと並んでいます。こちらはこの教会の床を埋めていた13世紀ごろのモザイクです。ああ、無事でよかった。
ルネッサンスが訪れる前のこれらの作品群、ヘタウマっぷりがなんとも愛らしい。デフォルメっぷりもなかなか大胆で却って新しさを感じてしまいます。どんな方々がこれを作っていたのでしょうか? 

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枠の四隅の処理めちゃ適当です。
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こちら第4回十字軍がコスタンティノポリスを陥落しちゃったもの、キリスト教世界における黒歴史です。この事件があったのは1204年なのでモザイク製作当時は記憶に新しいそれはそれは衝撃的な事件だったのでしょう。当時新聞があったならそのまま挿絵に入れたいです。でもかわいらしすぎますね。

ここからは動物たちなど
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このインパクトの強さには余計な文はいらないとおもいました。

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