
エウフラシウス聖堂建築群のモザイク群 ポレチュ クロアチア
いよいよエウフラシス聖堂の本体に入ります。
建物の側面から入るとキラキラモザイクが覆いかぶさるように迫ってきます。
く、首が痛い。


直感的にまず感じるのが、ラヴェンナでみたモザイク達にすごくよく似ているということ。
実際のところ建てられた時代も6世紀とほぼ同時期なので、ちょうどこういうのが流行っていたのでしょうか。
北アドリア海の沿岸都市で職人や材料が行ったり来たりしていたようです。
まず目に付いたのがアプシス左手のこちらのモザイク
この町の初代司教である聖マウルス、献堂したエウフラシウス、そして主任輔祭クラウディウスとその息子のエウフラシウスです。
アプシスの下部にある文字は(トップ絵の方が見やすいかも)エウフラシウスの貢献が忘れられ無いよう、長い碑文がモザイクで作られました。


神の羊
見づらいので少し後ろに下がって見ましょう。

上の凱旋アーチには若いお髭の無いキリストが座っています。
Ego sum Lux vera とは「私は真の光である」の意味です。

隣には12使徒、名前があるので誰が誰だかわかりやすい。

アプシス中心には聖母子像
周りの雲の表現もラヴェンナによく似てます。

天蓋の向こうにも気になるモザイクがありますが、見えづらくて残念です。


正面の全体像

モザイクでは無いですが大理石でできた柱頭とアーチの内側の漆喰の飾りがいい味を出してます。

側廊の正面にもモザイクが少し残っています。

床下の床モザイクも見ることができます。場所によっては2層になっていて建て替えがあった様子がわかります。


ふうー、これで全部回ったことになります。
1箇所で古代ローマ末期〜初期キリスト教の移り変わりが見られる贅沢仕様です。
1 邸宅の中の礼拝堂(4世紀くらい?)
2 中庭モザイクのところにあった初期バジリカ(4世紀後半)
3 アトリウムを備えたエウフラシウス聖堂(5世紀)
4 現在のエウフラシウス聖堂(6世紀に建て替え)
すっごく勉強した気分になりました。

エウフラシウス聖堂建築群のモザイク群 ポレチュ クロアチア
↑ちょっと群の文字がくどいですが、世界遺産の登録名をそのまま使用しました。
聖堂だけじゃなくて聖堂建築「群」であることがすごいということらしいです。
確かに観光で見たのは、聖堂と聖堂前のアトリウム、洗礼堂と鐘楼と司教宮殿のコンボ。
こういうものが初期キリスト教大聖堂複合建築群で、ここが最も完全な状態で保存されているのだそうです。
なので見所多し!です。
ではじっくりと観光してみましょう!

こちらが教会の入り口です。
入り口のモザイクは初期キリスト教会のスタイルで作られているけれど、こちらは20世紀初頭に作られたものです。
キリストの脇の文字は聖書の一節で
EGO SVM OSTIVM PER ME.
SI QVIS INTRQIERT SPLVRBITVAR
(私は門である わたしを通って入る者は救われる)
と書かれてます。

ではキリストに見守られながら中へどうぞ。
門をくぐり通路を抜けるとまず中庭に入ります。
この中庭はアトリウムと呼ばれてます、って説明するのもちょっとね。
古代ローマの邸宅にあるあのアトリウムそのままで、周りが柱廊で囲まれてて屋根の空いている半屋外的な空間です。
教会正面の入り口にアトリウムがあるのは今では非常に珍しいですが、
古代末期から初期キリスト教時代のバジリカには必ずあったものだそうです。
この空間が古代の名残なのねと思いながらファサードを見上げてみるとモザイク発見!
でも見づらいなー

聖堂に背を向けると正面には洗礼堂と鐘楼(1522年建築)があります。
順路に従い鐘楼に登ります。

4連の鐘はかなりの大きさなので突然鳴りださないかドキドキもの

熱心に外を見てるけど何が見えるのかな?

赤い屋根とアドリア海です!
これぞクロアチア!って感じじゃないですか!?

鐘楼を上り下りしてるとちょうどいい感じで正面のモザイクを見ることができます。
でもね、、、


アップには耐えられないクオリティでございます。
19世紀に適当に復元されたのだそうで、うーん残念!!
遠目に見るといい感じですよ。私なんて近視なので特に。
その後は前回の記事で御紹介した通り、司教宮殿の展示と共に中庭モザイクを見て最下階へ。
前回の記事で地階と記したけど、もしかしたら1階かも。ちょっと記憶があやふやです。
中庭モザイクの本物が色々と残ってましたよ。
単純なモチーフですがこういうの好きなんです。こういうラグあったらかわいい

円を作るのは難しいようで。でも緻密でよくできてます。

この石の色合い!! 蔓と葉のモザイクのデザインが素敵すぎです。
こちらと上のモザイクは元々1つだったんです。このオリジナルの色合いでの完成品見てみたかった!

さてこちら文字だらけのモザイクは5世紀のものです。
書かれている内容は
右:神もその名を知らぬ或る者は魂の救済のために13フィートのモザイクを行った
左:IOHANNIS ROMEUSは魂の救済のために20フィートのモザイクを持った
信者が寄進してたんですね。古今東西やることは同じなんだなー。

博物館を見終わった後は庭に降りてモザイクを眺めつつ聖堂へと移動します。
左手の建物が聖堂の側面、つまり聖堂の脇の方から入る感じになります。

建物に入るとすぐ聖堂、と思いきや別ゾーンに突入しました。
古代ローマの遺跡です。バジリカの建つ前にあった邸宅のモザイクらしいです。
キリスト教迫害の時代は邸宅の中にこっそりと小さな礼拝所があったのでしょう。

棺(?)のある部屋の床にもモザイクがあるけど見えますか?

ここまで来てようやく聖堂本体になりますが、長くなりそうなので今回はここまでにしたいと思います。
次回こそキラキラモザイク登場します!