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Viaggio mosaico

〜モザイクをめぐる旅〜

アヤソフィアに入る前に、、、

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イスタンブールのスルタンアフメット公園です。向こう側に見えるのはブルーモスクことスルタンアフメットモスク、そして反対側に振り返るとピンク色の建物アヤソフィア寺院が見えます。

あ、手前の噴水にモザイクの装飾発見。

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この公園から少し西側に行くと先ほどの公園と並行してまたもや大きな広場があります。ヒポドロームです。
ここはかつて戦車競技場がありました。そう、ニカの乱の舞台となった場所です。

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532年に起こったニカの乱は戦車競技がきっかけで起こりました。
チームは色分けで4つに分かれていたそうですが、その中には皇帝側と反皇帝側のチームがありました。ただでさえ応援団は興奮する競技なのにそのチーム分け!嫌な予感しかしません。
時代が平穏ならいいですが、いざこざがあったら大変です。おまけに合間に政治演説も行うわけですからその状況たるや想像に難くありません。(スポーツと政治はやっぱり分けた方がいい!)

531年に両者間で諍いが起き暴徒化した人々が逮捕、処刑されました。その後減刑など紆余曲折ありますが、両チームが皇帝に不満を募らせます。折しも当時は対ペルシア戦争で戦費が嵩み、貴族も市民も重税を強いられていて、立場は違えど同じようなフラストレーションも抱えてました。
そして翌年の戦車競技で皇帝への不満は爆発します。ニカ!ニカ!(勝て!勝て!)の掛け声からまたもや暴徒化!
隣接していた宮殿を襲ったのです。先ほどの広場もブルーモスクの辺りも当時は宮殿でした。

矛先を向けられた皇帝があのユスティニアヌス大帝です。
最初は逃げ腰だったのですが、皇女テオドラに説き伏せられて鎮圧に向かうエピソードは有名ですね。
モザイクをやっていると否が応でも名前を覚えてしまうお二人です。

広場に立ちながらリアルな距離感でその事件を思い出してしまいました。

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この動乱の最中アヤソフィア寺院も襲撃されました。
しかしユスティニアヌス大帝は私財を投じて、537年に寺院を再建したのです。

それを示したモザイクがアヤソフィアの入口(観光ルートでは出口)にあります。

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「聖母子、ユスティニアヌス1世とコンスタンティヌス1世」アヤソフィア聖堂 イスタンブール トルコ

教会の前室に当たるナルテクスの入口上部にあります。
中央は聖母子。
聖母マリアの左右にある丸で囲まれたMPとΘΥの文字は "Mētēr" and "Theou"を略したもので「母」と「神」を意味します。

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マリアの膝に抱かれたイエス様は額の秀でた利発そうなお顔立ちです。

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右側はコンスタンティノープルの街を捧げるコンスタンティヌス大帝

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そして左に控えるのがユスティニアヌス大帝です。
ラヴェンナのモザイクでおなじみのお顔と比べると随分とお年を召した顔立ちです。
その手元にはアヤソフィア寺院、イエス様へと捧げています。

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アヤソフィア寺院の外観は今も建てられた当時の姿を残しています。
東ローマ帝国の歴史を刻み続けたこの寺院をじっくりと楽しみましょう。
もちろん私たちはモザイク中心です。


そうそう、先ほどの広場にはドイツ皇帝 ヴィルヘルム2世からトルコのスルタンに贈られた通称「ドイツの泉」があります。
中を見上げるとキラキラのモザイクが施されてます。ネオヴィザンチンと呼ばれるそうで気が向けばこちらもチェックしてみてください。

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