モザイクで見るアレクサンドロス大王
ナポリ国立考古学博物館所蔵「イッソスの戦い」 イタリア
古代ローマモザイクをやっているとこのお方は欠かせないですよね。生まれはマケドニア王国のペラ。父親はマケドニア王フィリッポス二世です。このお父様はなかなかの戦術家だったそうで、長槍を携えた重装歩兵を最初に有効に活用した方のようです。6mぐらいの長槍部隊を大型化し密集させて突進させるんだとか。素人の想像ですがかなりの迫力がありそうですね。このマケドニア式のファランクスを使った新戦術は無敵だったそうです。
右はそのペラで発見された小石モザイクの代表作の一つ「ライオンと闘うアレクサンドロス」の一部。若き日のアレクサンドロスと言われてます。なかなか麗しいお姿ですねー。いつか行って本物を見てみたいものです。
20歳の若さでマケドニア王を継承したアレクサンドロスはこのファランクス部隊を従えて大遠征を始めます。当時の対戦相手はアケメネス朝ペルシア。その最後の王と戦った場所が現在のトルコに当たるイッソスだったのです。ダレイオス3世が率いる軍は十万、対するアレクサンドロス軍はギリシアの同盟軍を加えても4万に満たなかったのだそうです。でも歴史の結果を知っている私たちは、数の差をものともせずにアレクサンドロスが勝利したことが想像できます。
なぜこんなことを延々と説明したかと言いますと、こちらのモザイク画、わたし今まで後ろにある槍はダレイオス3世の軍勢のものとばかり思っていたからなのです。位置関係から素直に見ると、そう思えますよね?だから普通の対戦シーンだと何の疑問も持たずに見てました。
でもこの槍がマケドニアのファランクスのものとなると、話は全く変わってきます。というかダレイオス3世、マケドニア軍に回り込まれて絶体絶命のピンチじゃないですか?
危険を察知して退却すべく馬車の向きを変えようと必死の御者、突然鞭打たれて馬達は慌てふためくものの足並みがそろわずもつれてます。
そしてアレクサンドロスは目前の敵将にトドメを刺すべくしっかりと前を見据えているところ、なのですね。
「マケドニアには最強の長槍部隊があった」
そんな一言を耳にしたところからこの記事を作りました。
皆様の目にはこの作品はどんな風に映っていましたか?