ローマの残り香
アリアーニ洗礼堂とサンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂 ラヴェンナ
ラヴェンナのモザイクの残る教会は初期キリスト教時代のもので、5〜6世紀のものがほとんどです。
この頃って時代の狭間にあってローマ帝国は分裂・崩壊しつつあるし、キリスト教も様々な宗派が生まれて正統だ異端だとのやり合っているし、、、おかげで価値観が一定でないので表現方法も実に多彩で面白いです。
そのせいか現在の感覚で見ているとあれ?と思うようなことにも遭遇します。
まずはこちらの洗礼堂のモザイクを。これは異端とされてしまったアリウス派のものです。
なぜ異端とされたか?信者でも学者でもないので言い方が乱暴になりますが、要は三位一体を否定していた。キリストを神様扱いしなかったからということのようです。
少し前に紹介したネオニアーノ洗礼堂と明らかに違うのがキリストの表現方法。信仰に目覚めたピュアな若者として描かれています。いかにも人間臭くて私は好きなんですが正統派から見たら「まずいでしょう、コレ!」となるようです。
そばにいるのは洗礼者ヨハネとヨルダン川の神様。
、、、と、日本人の感覚でさらりとヨルダン川の「神様」などと気安く表現してしまいました。ネオニアーノ洗礼堂の記事にもなんの抵抗もなくさらりと書いてしまいましたが、これ本当はまずいですよね。キリスト教は一神教ですから。
でもおそらくですが当時の織工たちもそのぐらいの感覚で作っていたんじゃないのかなと思うんです。袋から川の水を出すなんて神の仕業ですよね。こんな表現が許されていたのも、まだローマ時代の多神教の名残が残っていたのかなぁと。
アリウス派によって建てられたもので有名なのがサンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂。
ちょっと短足なバシリカ様式の列柱の上部がモザイク画で覆われています。そこに描かれているのはずらっと並んだ殉教者。向かって右側が男性、左側が女性です。今の感覚でみると聖人が粛々と行列しているように見えます。でも殉教者の中にはローマ帝国と関わりがあって、という人たちもいるでしょう。この聖堂が西ゴート王のテオドリックの命によるものとすれば、古代ローマを全否定するためにあえて作らせた、、、なんて想像することもできそうです。当時の人の目にはどのように映っていたのでしょうか?
そうは言ってもなかなか民衆に根付いた生活習慣までは抹殺できないものです。
だって、最後の晩餐のキリストと12人の使徒たち
ローマ式に寝転がってお食事してますよ。
しかしこのアリウス派の聖堂も異端視され、不適切とみなされたモザイク画は壊されてしまいました。殉教者たちの出発点となる2つの建物は後の時代に手を加えられた箇所です。なんとも大味なクラッセ港とそれなりに頑張った王宮。
ただ制作担当者、かなりいい加減な人だったに違いありません。おかげで今では完全にホラー。
ホント、面白いです。