アッピア街道の向こうに
ローマ邸宅のトリクリニウムの床モザイク MARTA ターラント イタリア
ブーツ型をしたイタリア半島のかかとに当たるところにターラントという町があります。
車で行けば長い長い旅程、高速を降りて走るこの道はかつてのアッピア街道です。向こうに見える煙、近くに工場地帯があるようです。ウィキによれば「ターラントは南イタリアで3番目に大きな町で重要な軍港と商業港を有し、製鉄所、石油精製工場、化学工場、造船所(戦艦)、食品加工工場がある」のだそう。
イタリアにもちゃんと工場があるのね。ローマの景色に慣れた身には、なぜかこのパワーのある風景がひどく新鮮で心揺さぶられます。
聞いたところによると、ターラントの軍港は海上自衛隊の船が立ち寄ることもあるのだそうです。
町に入ると目につくのは港町の景色、うーん! 青色がまぶしい!
太陽も真冬とは思えない程力強く輝いています。
さてそんなターラントでまず立ち寄ったのは旧市街にあるサンカタルド大聖堂です。
10世紀の創建で、時代を経てロマネスク様式とバロック様式が混在するようになったファサード、内部奥はカラフルな大理石で装飾されています。
そ、し、て、床にはなんとも愛らしいモザイクが!
欠損している部分が多いですが、床のあちこちにヘタウマ系のモザイクがあります。
こちら1160年にジラルド司教の委託を受け、モザイク作家のPetroiusによって作られたものです。時代的にもイタリア南部の類似例からもロマネスク様式に当たると類推しているのですが、なぜかビザンチン様式と説明する日本のサイトがあり混乱しております。
でも、私の本命はこちら、新市街にあるMARTA(Museo Nazionale Archeologico di Taranto)近年作られた(改装された?)ばかりのモダンな博物館です。
博物館に入ってすぐロビーで迎えてくれたのはギリシア彫刻の巨匠リュシッポスのブロンズ像の複製。
本物はターラントがローマに征服された紀元前209年にローマに運ばれたそうです。
ちょうどその頃第二次ポエニ戦争の戦利品としてシラクサからもギリシアの美術品が数多くローマに運ばれてました。ギリシア芸術がローマ市民の目に止まり始めた時期の一品だと思います。
元々ターラントは紀元前8世紀末にギリシア人によって作られた町なので、ギリシア時代のの出土品がメインです。
その中でもここの見所は、紀元前に作られた金細工。
虫眼鏡で見ないとわからないほどに精巧に作られたこの細工、素敵です。
意外とここはローマの出土品も充実していて、モザイクの展示品も多数ありました。
一番の目玉がこちらのモザイク。1890年代末にIstituto Maria Immacolataの邸宅跡から幾つか見つかったものの中の一つです。3つのモザイクが一連で展示されていたので、この3つがまとまって出てきたものと思います。
このモザイクはペリスタイル(柱で囲まれた中庭)の一角にあったトリクリニウム(宴会場)を飾っていたものと思われています。中央にはギリシアの神がニンフをさらっている様子が描かれています。この模様はタラントのモザイクの中では非常にまれなものだとか。
このモザイクの量と質、かなり身分の高い人の邸宅だったのでしょうね。
このほかのモザイクも一部ご紹介。
まだパッケージされたままのモザイクも!
実は私がここを訪ねたのは2012年の冬でした。最近の様子を調べると、もっとモザイクの展示数が増えているようです。おそらくこちらの中身も今は見られるのではないのでしょうか?
MARTAはホームページも力を入れているようです。
よかったら参考にこちらもどうぞ。
http://www.museotaranto.org/web/index.php?area=1&page=home&id=0&lng=en